1ペテロ2:23
「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しく裁かれる方にお任せしました。」
1ペテロ3:9
「悪を持って悪に報いず、侮辱を持って侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなた方は祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」
使徒5:40-41
「使徒たちを呼んで、彼らを鞭で打ち、イエスの名によって語ってはいけないと言い渡した上で釈放した。そこで使徒たちは御名のために、はずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出てきた。」
適用
匿名のインターネットの私への悪口に悩まされていた時期もあった。
一貫してヤクザが昔の自慢をするな!刺青を見せるな!いい気になるな!である。
私の恥さらしは、私のようなダメ人間のための希望であるという私の主張は無視されている。
違いを認め愛し合うのがキリスト者であると思うが、正しく裁かれる方に任せるということに徹した。
実際の私の実践は彼らのために毎食前の祈りに赦しと祝福を宣言した。
それを続けただけである。
そうすることで記憶にあるだけで、3名の方が自分から謝罪に来た。うち2人は全く知らない人。
泣きながら来た人もいる。
空想話まで書いて後悔しています!あまりにも進藤龍也が好きすぎて、、、と。
(一年ほど教会にいました)
ある方は、履いている靴が片方がサンダルでジャージ姿で電車に乗ってやってきた。
あまりに注目されていて妬んでしまったと。八つ当たりでごめんなさいと、、、
ある人は電話があり謝罪してきた。
その後、その方の近くに伝道にゆくことを告げると空港まで来てくれて土下座された。
本当にごめんなさいと、、、
私は感謝しています。それが神が望んでいることだから。
そして、和解を求めてきた人を受け入れ和解した。
こうして、私は他人においては、キリスト者としてまずまず?の態度をとれていると思う。
他人に激しい言葉で、怒りをぶつけることはなくなりましたが、正直、夫婦喧嘩をすると、ちょっとでも大きな声を出そうものなら、妻からたしなめられます。
もちろん、脅し文句や威圧をしているのではなく、主張したい思いの時についつい大きな声になってしまうのです。家庭においての自分が本当の自分でしょう。1人の時が本当の自分であるように。
祈り
私の父、神よ。私を変えてください。あなたの造られた目的を果たす者として。また、家庭においても夫婦は一体の奥義がなされていくように。全く新しい人に変えられた聖書の主人公のように。アーメ
妻の足を洗足