言霊を 死語と思わない
類の人種がいるとすれば
それに属しているひとりです。
メール一本といえど
ご酒をたしなんだ後には書きません。
書くべき言葉の判断が
みだれるのが怖いからです。
ちゃかちゃかと打った後、
頭の中を消去した状態で読み返すと
これではまずいという箇所が
皆無ということはまれです。
ブログの記事に至っては
投稿後の手直しが二桁近くなることも
めずらしくありません。
取り返せないひとことが
古代の言霊信仰であったとするなら
訂正をかける行為は
矛盾するかもしれませんが、
霊力をあなどるわけではなく
フロイトの解釈にしばられるだけでもなく
過程が重要であり
その帰結するところこそがだいじだと
考えているためです。
発した後の言葉は
とりもどせないし、
それ自体でひとり歩きするものと
思ってきました。
自分の裡であたりまえとした
この前提をわざわざ書いてきたのは
ここしばらく
困惑するできごとに
遭遇しているからに他なりません。
言葉はなべて共通であると
私は思っていません。
通じることもあれば
そうでないこともあります。
ただ。
いままでは、発する側の認識でしかとらえていませんでした。
字面をたしかに読んでいながら、
およそ考えられない反応を示される。
この違和感は、文章を読む読まないというだけに
とどまらないものであると綴りつつふと感じます。
もっともその関係が露わとなる子どもとの関係。
こちらの意思を押し付けることが容易な生き物との関係。
あるいは、従業員。
自分のみたいものしか見ていない、
受容することができない、
それは心の底で そのあるがままの姿を受け入れることが
許容できないから。
かかわりの中に、一方通行はありえない。
だから、自分の与えたものしか
返ってはこない。
メッセージを受けとるには。
自分の手が何かをさえぎっていないか。
他者ではなく
己の言葉を反復しているだけではないのかと。
したためていました。
類の人種がいるとすれば
それに属しているひとりです。
メール一本といえど
ご酒をたしなんだ後には書きません。
書くべき言葉の判断が
みだれるのが怖いからです。
ちゃかちゃかと打った後、
頭の中を消去した状態で読み返すと
これではまずいという箇所が
皆無ということはまれです。
ブログの記事に至っては
投稿後の手直しが二桁近くなることも
めずらしくありません。
取り返せないひとことが
古代の言霊信仰であったとするなら
訂正をかける行為は
矛盾するかもしれませんが、
霊力をあなどるわけではなく
フロイトの解釈にしばられるだけでもなく
過程が重要であり
その帰結するところこそがだいじだと
考えているためです。
発した後の言葉は
とりもどせないし、
それ自体でひとり歩きするものと
思ってきました。
自分の裡であたりまえとした
この前提をわざわざ書いてきたのは
ここしばらく
困惑するできごとに
遭遇しているからに他なりません。
言葉はなべて共通であると
私は思っていません。
通じることもあれば
そうでないこともあります。
ただ。
いままでは、発する側の認識でしかとらえていませんでした。
字面をたしかに読んでいながら、
およそ考えられない反応を示される。
この違和感は、文章を読む読まないというだけに
とどまらないものであると綴りつつふと感じます。
もっともその関係が露わとなる子どもとの関係。
こちらの意思を押し付けることが容易な生き物との関係。
あるいは、従業員。
自分のみたいものしか見ていない、
受容することができない、
それは心の底で そのあるがままの姿を受け入れることが
許容できないから。
かかわりの中に、一方通行はありえない。
だから、自分の与えたものしか
返ってはこない。
メッセージを受けとるには。
自分の手が何かをさえぎっていないか。
他者ではなく
己の言葉を反復しているだけではないのかと。
したためていました。
確かに・・・と思うところだらけです。
烈しく 否という自分がある。
それに気づくとき
ままならぬもの と
わが身に返ることばを知ります。