行った店の中の放送で、誰が歌っているのか知らないけど「ロコモーション」が流れてきた。多少騒がしい店内だったのであんまりはっきり聞こえなかったんだ。特別に好きなわけではないけどまあ、いや、どちらかといえば好き側なのか。
次の曲がフランス・ギャル「夢見るシャンソン人形」フランス語版。というかフランス語が普通なんだけどあえて書くのは日本語版があるから。十年くらい前にたまたま見ていたNHKフランス語講座の番組終わりでこの歌を歌うレッスンコーナーがあって以来久しぶりによそで聞いてびっくりした。
その次は何かな、と思ったらシルヴィ・バルタン「アイドルを探せ」だった。おう…。この曲は歌なしのアレンジ版が二年ほど前に近所のスーパーマーケットでかかっていた以来二度目の遭遇である。
いやそんな馬鹿な。絶対に流行しているはずがないのだ。もとよりあまり外に出ないほうなのに、遭遇は奇跡の体験ではないか。
シルヴィ・バルタン(78歳か)より年下でありながら70歳くらいで死去している往年の歌手。
何度聴いても下手くそだよな、とは言い過ぎだと思うけど、一言で表現するとすれば的外れではないとも思う。音を外すとかいうことではなくて、「強」と「弱」のボタンしかない感じ。ただそれが癖になってきて、ついにCDの購入に至る。
これで決して短くない間第一線を張ってきたのだから、別に下手なわけでもないだろうし、我々の理解の及ばない部分で特別な魅力があるのだろう。歌以外の面で売ってるわけでもなく、当時の空気感を分かりたい気持ちもあって聴いてるけど、どうしても上手に聞こえない。両親が高名な音楽家って本当なのか。
歌手のフランス・ギャルって、決して歌うまくないよな、と思いながら比較的早世されたすでに故人となった人を悪くいうのも道に反する気がして遠慮していたが、我慢できずにGoogle検索で「フランス・ギャル 下手」と検索したら、たくさん出てきた。
聞いているうちにどうも味が出てくるというか、さすがに長く人気を博していたらしいこともあって、なかなか癖になる要素に長けているのではないだろうか。そんな人も多いみたい。
最近、小さい鮫のやつ
とか、なんか知らないけど同じ船のやつ
とか、デビューから数年の時を感じさせないやつ
とか、聞きだしたら止まらなくなってる。
口直しに石井健雄を置いとこうか…。
興味が出たらフランツル・ラングも聴いてみてね。
130×26=3400円
142×34=4800円
2 プランセス通り
https://maps.app.goo.gl/md2uL5x3fi8DtkPn9
2009年に行ったパリの散髪屋は、最近のGoogleストリートビューでも健在だった。窓に料金が掲示されていて、けっこう新しい写真だと思って見ているけどしかしずいぶん値上がってますな。
もう一生涯行くことはできないと思う。あの頃は楽しかったな…。
まあシルヴィ・バルタンの話なんだけど、いろんなカバー曲を歌っている。カレンダーガールのフランス語版「Tout Au Long Du Calendrier」がいいね。歌詞もよくフランス語にしたなと。半世紀遅れで今頃何言ってんだ。
日本では「カラオケおばさん」とも呼ばれるMay.Jがいろいろ歌っていて、この人がNHKのど自慢のゲストだったときに最後の歌で素人を圧倒していたのがすごかったけど、世の中にカバー曲を出せる人はよっぽど歌のうまい人なんだろうね。絶対元と比べられるのに堂々として負けてない。
日本では「カラオケおばさん」とも呼ばれるMay.Jがいろいろ歌っていて、この人がNHKのど自慢のゲストだったときに最後の歌で素人を圧倒していたのがすごかったけど、世の中にカバー曲を出せる人はよっぽど歌のうまい人なんだろうね。絶対元と比べられるのに堂々として負けてない。
不在時に来ては不在票を投げ込んでいくのよな、郵便局は。最初から局留めができたら外出帰りに寄って帰れるのに。翌朝一番に取りに行ったよ。
シルヴィ・バルタンの「Salut Les Copains!」が入った同タイトルのCDで、1970年前後のいろいろが入っている古い感じのやつ。ああこれよこれ、これなのよ。涙が出ちゃう。
サンタクロースの箱にはもう一つ、5年前の掃除機、DysonV6trrigerpro対応の中国製互換電池も入っていて、早速交換した。サービスセンターは赤ランプが32回点滅する原因をはっきり教えてくれなかったけど、交換で動くようになったよ。
なんかこう、生産的でない生活してんな、と思いつつ、何にも気が入らない。コロナのせいかしら。今はもっと他にすることがあるような気がするんだけどな。
シルヴィ・バルタンの「Salut Les Copains!」が入った同タイトルのCDで、1970年前後のいろいろが入っている古い感じのやつ。ああこれよこれ、これなのよ。涙が出ちゃう。
サンタクロースの箱にはもう一つ、5年前の掃除機、DysonV6trrigerpro対応の中国製互換電池も入っていて、早速交換した。サービスセンターは赤ランプが32回点滅する原因をはっきり教えてくれなかったけど、交換で動くようになったよ。
なんかこう、生産的でない生活してんな、と思いつつ、何にも気が入らない。コロナのせいかしら。今はもっと他にすることがあるような気がするんだけどな。

フランス土産を頂戴する。ノルマンディー上陸作戦75周年である。1944年6月6日なんだって。6月6日といえば「補聴器の日」として知られているが、世界的にはやっぱりD-Dayよね。
平成31年4月15日、パリのノートルダム大聖堂が燃える。市中を走るパリマラソンが4月14日で、行っていた趣味の人たちも少なくはないのだろう。
同じ第2日曜日に、歴史は浅いけどグアムマラソンもある。少なくとも1年くらいかけて練習をして、その両方に出る、という構想の実現には、最短2年の時間と、遊んで暮らせるお金がいる。
あまりに遠い夢であるので、仕方がない、グアム一本にグレードを下げようか。1年と、遊んで暮らせるお金。
パリは遠かった。
同じ第2日曜日に、歴史は浅いけどグアムマラソンもある。少なくとも1年くらいかけて練習をして、その両方に出る、という構想の実現には、最短2年の時間と、遊んで暮らせるお金がいる。
あまりに遠い夢であるので、仕方がない、グアム一本にグレードを下げようか。1年と、遊んで暮らせるお金。
パリは遠かった。
Wikipediaによると、歌手シルヴィ・バルタンは73歳でご存命。YouTubeで50年前の歌をずっと聴いていて、だんだん悲しくなってきた。昔この人の歌をよく聴いていたなあ、懐かしいなあ、といった程度の我々一消費者の思い出などは、世間的には何ら価値を持たず、それに別に誰に公言してきたわけでもないから、自分が死んだら誰にも顧みられることなく忘れ去られる、まったく本人以外にとって無視できる小ささの気持ちでしかない。ただ自分がそれを好きだった事実が、自分が生きている間に生きているだけで、後に残るものではなく、残ったところで意味がないことも疑いない。一体、何のために聴いているのだろうな、と思う。シルヴィ・バルタンを他の多くのものに置き換えても同じ。そうすると人生から潤いというものがなくなってゆくが、なくなったところで高の知れたものであろう。
ところで、シルヴィ・バルタン公式ホームページもあった。それをどんな気持ちで見ればよいのだろうかね。
ところで、シルヴィ・バルタン公式ホームページもあった。それをどんな気持ちで見ればよいのだろうかね。
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「菌を洗うという発想」の花王アタックNeo抗菌EXパワーが見掛け倒しらしいけど、それは、洗いかたが悪いのだと思う。基本として、まず「汚れ物を洗う」という発想から外れてはいけない。水で洗う限りはそれは単に虱を洗っているに過ぎず、そこそこの湯を使え、というのが近代科学の教えなんである。菌や虱を落とすためにはせめて60℃の湯を使えという話であって、無理にアタックNeo抗菌EXパワーを使う必要がない。
フランスの洗濯機には普通そんな温度設定スイッチがあって、汚れ具合によって選ぶのがごく当たり前なのだそうだ。テレビでそう言ってた。
ある女の人がL'Occitaneの小鞄を持っていた。まあ、雑誌の付録だったものらしい。きっと、おしゃれさんでない僕には無縁と思ったのだろう。付録かどうかもわからないくらいだから大して詳しくないのは当たっているけれどもまったく無縁なわけじゃない。人生の資源の大半をフランス語の勉強に費やそうと思った時期がほんの短期間だけあって、そのときに何かで目にしたこのブランド名の語を調べたことがあったんだぞ、失敬な。
この単語は、大雑把に「南仏地方の方言である」と理解していた。想像では、日本で言う「京都弁」みたいな、どこか上品な雰囲気が好まれるような感じのものではないかと思っていた。ところが今、改めてたどってみると、元の「オック語」はWikipediaによると本質的にフランス語の方言ではなさそうだし、どうもあまり穏やかでないことになってますな。例えるならば琉球語とか薩摩弁とか、もっと離れた感覚なのかもしらん。