ジョギングしてました。できるだけ早く行くつもりだったけど行けなかった。パソコンから離れられんかったから。8時半過ぎに行ったけど左足の靴が左寄り過ぎて飛ばしきれんかった。距離3.8km+3.7km?タイム18:15,29:30でした。昨日グラウンド練習は調子よかったんだけどな。
中国で「愛国主義的行動」が愚か者呼ばわりされ始めた
吉田陽介[日中関係研究所研究員]
2016年8月23日
「蠢貨」という言葉がある。日本語に訳せば「愚か者」という意味だが、南シナ海問題をめぐる一連の騒動が起こった際にネット上でよくこの言葉が見られた。ここでいう「蠢貨」とは、「日本製品・アメリカ製品ボイコット」を声高に叫ぶ「愛国者」のことを指す。
「愛国」という言葉は、領土問題など「核心的利益」に触れる問題が起きたときによく使われ、ネット上にその手のコメントが流れる。これまで、愛国は「正義の行動」と称えられ、多くの人々に広く支持された。
なぜか。それには「歴史の記憶」がある。中国共産党の公式見解によると、中国はアヘン戦争以来、列強に国土を分割され、半封建・半植民地国家になったという。このことは古代から世界の大国として君臨してきた中国にとっては大きな屈辱だった。ゆえに、習政権は「中華民族の復興」を目指す「中国の夢」を説いているのである。
だが、「愛国主義的行動」は以前のように「正義の行動」として好意的に見られてはない。
「愛国」を論じる言論や行為の多くは、瞬く間に人々の支持を失って笑いの的となり、「愚か者」の烙印を押されてしまうのである。
この「愚か者」は、ネット民だけでなく『人民日報』や新華社など公式メディアにまで批判されることになり、ついには「愛国とは蠢貨(愚か者)を抑えることだ」という言葉がネット上で流行語となった。
そこで中国のネット上で流れた主な「愛国的」文章を挙げ、ネット民がどのような反応をしたか、見ていきたい。
「中国は一番だ!」という愛国的コメントに
ネット民は薄い反応
南シナ海問題をめぐる仲裁裁判所の裁定が明らかになった翌日の7月13日にネット上の有名人である作家の咪蒙氏は「永遠に国を愛し、永遠に熱い涙を目に浮かべる」と題する文章を発表した。この文章の内容を簡単に紹介しよう。
まず「最も良い愛国主義教育は海外へ行くことである」とし、外国の食べ物はたまに食べればおいしいと思うが、一定の期間が過ぎたらそうではなくなり、自国のものが食べたくなり、改めて自国の料理の良さが分かるのだと、自身の経験を交えながら述べている。
次に、外国では買い物は不便だという。例えば、外国ではコンビニが密集しておらず、遠くにまで買いに行かなければならなくて不便だが、中国の大都市ではどこでもコンビニがあり、加えて中国ではネット上で何でも買えるのでとても便利だとも述べている。
また、中国は夜中でも開いている屋台があり、夜型人間も退屈しないので、夜中に街を出歩いても楽しいともいう。
さらに、現在、中国の国際的地位が上がり、多くの国に認められているので、「私は中国人だ」と言っても、相手の態度は悪くならないと述べている。ここでは南シナ海問題についても言及されているが、咪氏によると、中国は大きな安心感を与えてくれており、フィリピンが騒いだとしても、それは「悪ガキ」が騒いでいるのであり、その「悪ガキ」が玄関の前で「飴をくれないと、嫌がらせするぞ」と言っても、「お父さんは忙しいんだ。あっちへ行ってなさい」と言えるのだという。
以上が咪蒙氏の文章の主な内容だが、それに貫かれている考えは「やっぱり中国はいいよね」のレベルであり、偏狭なナショナリズムを煽るという類のものではなく、確固たる政治的信条は見られない。咪蒙氏は恐らく「愛国的」ネット民の受けを狙ったのだろう。
では、ネット民の反応はどうだったか。「よく言ってくれた。(この文章は)中国人の心の声を伝えている」といった「愛国的な」コメントももちろんあったが、「頭の良くない社会の底辺のやつらが愛国を語るのを好むのだ」、「愛国は正しいことだが、口だけではいけない。国と社会に貢献しなければならない」といった冷めたコメントや、「幼稚」「何の内容もない」、「彼女はいやしい人間だ。他の人が国を罵っているときは一緒になって罵り、国を愛していると言えば、一緒になってそう言う」といった罵りのコメントも見られた。
この文章は総じて作者の意図に反して、ネット民はおろか、自分のファンの支持も得られなかった。ネット上では、この文章は「自分の知名度をさらに上げるために受けを狙って書いたものだ」と、書いた動機が純粋な愛国心から来たものではないと指摘する声もあった。このことは、現在の中国人が一方的に愛国を語る言論に対し、冷めた目で見ていることを示している。(中略)
以上、中国の「愛国」に関する考えの変化について見てきたが、どうしてそのような変が起こったのだろうか。筆者は三つの原因があると考える。
第一に、中国人の価値観の「多様化」が挙げられる。毛沢東時代は伝統的な社会主義理念が人々の共通の価値観だったが、改革開放以降は、以前のように政府が外国の情報をシャットアウトするのが難しくなり、人々はさまざまな情報に接することがきるようになった。それと同時に欧米の価値観が入ってきて、伝統的な社会主義的理念が絶対的価値観ではなくなり、人々の価値観も多様化していった。
第二に、「主義・主張」よりも実際の生活を大切にするという中国人の態度である。中国が半植民地・半封建国状態にあったとき、開明的な人たちは「中国を改造」し、人々に幸福をもたらすものとして社会主義を自らの理念として革命運動を繰り広げ、また革命に目覚めた学生も外国製品ボイコットやデモ行進などで列強の侵略行為に抗議した。
だが、現在、中国の人々は「主義・主張」にはまったく興味がなく、自分の生活がよければそれでいいと考えている。筆者と交流のある中国人も「社会主義とか考えたことない。自分の生活をよくしてくれるなら何でもいい」と考えている。だから、ラディカルな愛国主義運動には興味を示さず、「自分のやるべきことをしっかりやる。それが愛国だ」というのである。
第三に、行き過ぎた「愛国的行動」は中国の国家イメージを損なう恐れがあるからである。現在中国は改革開放前とは違い、世界の政治・経済で存在感を増してきており、自己中心的なふるまいをするとたちまち世界各国から批判される。南シナ海問題、尖閣諸島問題で中国の対応が各国から注目され、様々な議論がなされるのも中国の国力が著しく向上した証拠で、大国にふさわしい行動が求められている。そのため、国家イメージを保つことは中国にとって重要なことである。
例えば、ここ数年、海外に旅行した中国人観光客のマナーが中国でも問題になっているが、マナーの悪い一部観光客の行動が中国の国家イメージを傷つけるためである。行き過ぎた「愛国的行動」も中国の国家イメージに悪影響を及ぼす可能性があるため、公的メディアも看過できなくなったのである。
現在、中国は「歴史の記憶」は残っているものの、偏狭なナショナリズムを抑え、理性的に行動するようになっている。中国政府の規制も多少は関係しているだろうが、人々の資質が向上していることも確かである。中国はゆっくりではあるが、変わっている。
http://diamond.jp/articles/-/99591?page=6
確かに中国は変わった少しずつだが。だが、少し過大評価してないか?この記事書いたやつ。おやすみなさい。