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鼓曲萬来

鼓絆2nd めでたき

 

***SKYART RECORD UDSA-0005

2nd album MEDETAKI production NOTE SKYART RECORD UDSA-0005

 

2nd album MEDETAKI



 production NOTE SKYART RECORD UDSA-0005

***SKYART RECORD UDSA-0005

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めでたき考


 さて今回の我々のセカンドアルバム『めでたき』は、

日本人のDNAレベルに密かに眠る所の

意識下の音にこだわって制作してゆこうと試みたものではあるが、

勿論飛鳥時代や奈良時代の音を再現しようとしたものではない。

また伝統神楽の現代的解釈といったものでもない。

 

あえて言わせてもらえれば、

里神楽の原始的シヤーマニズムの持つエネルギーと

大々神楽の持つ大衆的エンターティメント性を

現代のデジタル化された

HARDDISCレコーディングの現場に持ち込もうと試みたもので、

私なりに此の作品を名付けるとするならば、

『サイバー神楽』等となり呼ばせて頂こうと思うのであります。

 


制作に当たって、やはり鼓絆は和太鼓を中心としたチーム故、

和太鼓を打つというMESSAGEを大切にはしているが、

今回は直接的な意志伝達方法(あえて歌詞といわずに口上と言わせてもらうが)

としての言語にもこだわった。

 

往々にして和太鼓となれば、その響き、勇壮さ、

そして日本人の感性の表現との認識が一般的であろう。

 

しかしそれは時として壮大なスケールを持つものを

間接的なイメージで表現するという傾向に陥りやすい、

曰く自然とか、命とか、生命力といったテーマである。

 

それも又和太鼓の独特のテーマである事は否定しない、

が、果たして神の言葉というものは、

そのように大袈裟で崇高なものばかりであったのだろうか?


今回我々は今日本語としてあまり触れる事の無くなった言葉にこだわった、

音階も又、意識的にブルーノート等は避けるようにした。

 

何故ならば、それは神が直接太鼓打ちに降臨したであろう時代に、

少しでも近ずけたらと願う我々制作者のいわば神に対する貢ぎ物、

または献身的なサクリファイスでもあるのです。

 

ともあれ架空の神楽殿に於ける我々の奉納演奏は

全編に打ち振られる巫女の振鈴と共に始まってゆく...

 

また、アルバムタイトルは『めでたき』とする事に決めた。

語呂もいいし、新世紀と言う事でもあるし、

何よりも縁起が良さそうで大いに気に入っている、

しかし、決めた後で不謹慎かもしれないがふっとある考えが頭を横切った。

 

そもそも、我々日本人がよく使うめでたいとはどういう状態を指しているのだろうか?

語源はおそらく..芽が出るといったところか?

いや、あるいは鉄火場でいいサイコロの目が出て

勝って嬉しいと言う所から来ているのだろうか?

いやいや、あるいは愛でるから来ているのかもしれない。

 

一般的には何かこうパッと明るく輝くような雰囲気を連想するのだが、

しかし黄金の宝船に乗った七福神や鶴と亀もめでたい状態の代表選手だが

直接我々の日常生活に影響を及ぼす程のポピユラーな現実感はない。

 

そうそう..、時として出来れば避けて通りたいな、ほっといてくれませんか?

そういう状況のめでたい事もある。

友達の二度目のめでたい再婚披露宴等はその代表だ。

めでたいとされるお正月のめでたさは退屈な一週間でもあった。

 

そう此処ではっきりと断言するが、

50年間の人生の中でおめでとうと言われた事も、言った事もかなりあるけれど、

本当に嬉しかった事は残念ながら何回かしか記憶がないのだ、

飛び上がる程嬉しかった事は一、二度程度だ。

 

だから、嬉しいとか喜びとかの感情を表している状態ではないのだと思う。

そうそうおめでたい奴もたくさんいたなあ....。

 

(此の場合のめでたいはあまり良い意味とはいえないが)、

結局どう言う状態だかハッキリしないが、

日本人の一生はおめでたい事の連続の中に

おめでたく生きたいと願っているということであり、

此の国に於いては、いわば一種の触れてはならぬ聖域のように

精神的構造の土台を支えている有り難い状態を指すのではないかと思うのである。

 

**#1 冬原の花

それでは今度は、我々のアルバム『めでたき』の

一曲一曲に付いて紹介して行こうと思う、

まず冬原の花について。

 

長沢が書いたこの曲の最初の舞台は月の野、

そして主人公は其処に咲く花。

月といえばまず連想されるのはかぐや姫の物語りであろうか。

ここにひとつ興味深い話がある。

発明王エジソンは御存じか?

彼の発明がなければ今日のテクノロジーの完成は無かったであろう。

まさに20世紀最高の発明家の一人である。

 

彼の発明の中で最も有名な物、いうまでもなくそれは電球である。

闇を明るく照らす光にどれ程人類は恩恵を被った事だろうか。

彼の電球制作の上での一番の難関はどこであったか?

それはいわゆるフィラメントと呼ばれる発光物体の

材質に何を使うか、という事であったそうだ。

色々な物で試したがうまくいかない....。

 

悪戦苦闘の末、彼が辿り着いたのは..

そう竹、それも京都宇治産の竹を用いて成功したと文献には記されている。

果たしてエジソンはかぐや姫を知っていたのか?否か?

という事はさておき、世界中に明かりを灯し続けるその基は、

竹林に輝く不思議な光にあったのかもしれない。

世界の大発明と我々がなれ親しんだ日本の古い昔話...。

だからどうなの?と言われればそれまでだけど、

何か想像が膨らんでいく愉しみも有る。


竹林の灯りの様に、鼓絆も又一燈を掲げられたらと切にと思うもので有る。

 

さてと話を戻して、この曲は我々が怒濤のフランスツアーから戻ってすぐ録音された、

このアルバムでは2番目に古い曲という事になる。

確か99年の暮れ頃だったであろうか、

里神楽の重要なモチーフである、

鎮魂をテーマに雪原の下の小さな命にMESSAGEを託した。


後半の太鼓の部分は典型的な組み太鼓のパターンで

締め太鼓、二丁囃子、大太鼓の地(じ)に

一尺四寸と六寸の宮太鼓でフレーズを打ち、

神楽鈴でそれをなぞった。

 

もともとは西野が作った冬原の恩恵という太鼓曲から

全体の歌詞やイメージが決定されて行ったように記憶している。

雪原の命も何も感じられない雪の下に、来る春を待つ小さな花の命を知れ...。


神は舞う雪の中に静かに諭すのだ。 (地  いわば基になるリズムパターンの事)

またこの曲はプロモーション用にDAVID LYNCHが撮ったのかと思うような

VIDEO CLIPを制作してある。

これも又是非見て頂きたい。

 

**#2 常世の都

常世(とこよ)という言葉を始めて知ったのは浦島太郎のお伽ばなしだろうか。

これも又タイムマシンか?と思うようなSFチックな話である。

昔、昔、浦島は助けた亀に連れられて、竜宮城に来てみれば...、

これは日本人のまほろば思想の原点だ。善因善果、どこかにあるエルドラド...。


さてと此の曲を録音した頃、

新世紀を迎える我が国では森政権の失墜に拠って

世情に先行き不安の風潮が連日マスコミを賑わしていた。

株価の低落、大手銀行の破綻、いつの時代も庶民の暮らし向きは楽にはならない。

 

そんな時にふっとあるフレーズを思い出した、

『近頃都に流行るもの...』平安時代の書物だったように記憶しているが、

それを基に歌詞をまとめ、太神楽のもどき風にちょっぴり批判も込めた。

後半の太鼓の部分は、有名な秩父の屋台囃しをモチーフにして、

下谷一夫の締め太鼓ソロから、二丁囃子、締め太鼓のたまいれ

、田中の二尺胴宮太鼓の横打ちから西野の大太鼓へと、

いつまでも鳴り響く夜祭りの屋台囃しの様に、

本録音に於いては長い演奏になってしまったのだが、仮おとしの時にCUTOUTにした。

篠笛は西野、ちゃんちきとギターは田中が演奏している。

 

**#3 昂春

此の曲は、このアルバムでは一番新しい録音のものだ。

 

最初の話では曲間に使う予定であったが、

長沢が一曲にまとめ(木遣りも彼の声)

最初我々の間では四万十(しまんと)と一時呼ばれていた曲である。

木遣り(きやり)は諏訪大社の御柱(おんばしら)の時に山から大木を落としたり、

深川の丸太乗り等で有名な、いわば合図や、掛け声のようなもので、

浪々と高く響く、風情の有るものだ。

此の曲の太鼓に於いては通常の和太鼓の演奏とは異なり、

各人が各々別々にフレーズを打ち、組み合わさって

一つのフレーズに聞こえるような方法をとっている。

 

西野が大太鼓、田中が二尺宮太鼓、下谷がうちわ太鼓、

私が締め太鼓と二丁囃子を演奏した。


現在内外を問わず、多くの太鼓チームが活躍し、

その認知度も次第に高まっては来てはいるが、

それらと鼓絆の決定的な相違点はいくつか挙げる事が出来よう。


例えば鼓絆の絆という文字の解釈、

一般的には切っても切りきれない繋がりと解釈されるのだが、

我々はあえてそれを程良い距離感と解釈している。

 

程良い距離感?それは近すぎず、遠すぎず。

 

又一つの例として和太鼓の命ともいうべき間(ま)の取り方の違いを述べなくてはならない。

 

日本の墨絵と西洋絵画の違いはなにか?

それは何も描かれていない部分、(墨絵ではこれを余白というが)

いうなれば間とも言える。


西洋画に於いては光と影という観点から、何も描かれていない部分、

すなわち白あるいは無であるが、墨絵に於いてはこれは大きな意味を持つものである。


それは風情であり、季節であり、本質であり、

ここに緊張感が漲って始めて完成されて行く重要な部分なのである。

 

その余白、いうなれば間ともいえる

それがなくなれば和太鼓では無いとおっしゃる方もいらっしゃるだろうが、

ここの解釈(いわゆる、和太鼓の響きという部分)は

世界的な共通言語としては大きな壁となっていくかもしれない部分と思われるのだ

何故なら、多くの太鼓がこの独特の間を表現しようと

RECORDINGに於いて試みるのだが、和太鼓との距離感が近すぎる為、

いいかえれば和太鼓を愛するが故に

何とも退屈で恐い無音状態に陥ってしまっているのは事実である。

 

ましてやパフォーマンスの視覚効果無しでは余白という概念は消え果ててしまう。
鼓絆は思いきってこの距離感を

近すぎず、遠すぎないところに置いて行こうと思うのである。

 

いや今回のテーマに添って考えてみれば、

和太鼓のMESSAGE性やエンターテイメント性に拠って、

現代社会のタイム感、精神的リズムエネルギーにこそ帰存すべきなのである。

 

**#4 めでたき

此の曲は冬原の花に続いて録音されたもので、

このアルバムのサウンドコンセプトの核ともなっていった重要な曲でもある。

 

長沢が初めてこの曲のデモテープを聞かせてくれた時は、

確かマイナーコードで

インドのタブラやシタールが活躍しそうな曲調であったと記憶している

が、それを本録音でメイジャーに直し、

長沢の琴や雅楽の響きを加えて、まごう事なき『めでたきサウンド』にと変身させた。

 

 

ここから続く3曲を個人的ではあるが、めでたき三部作と呼ばせて貰っている。

後半の西野の大太鼓ソロはスタジオ一発録りで、

下谷が締め太鼓、私が二丁囃子を、田中がちゃっぱを担当し、

少しずつアッチエルという(LIVEではよくあるが)

最近あまりRECORDINGでは使わなくなった方法をとっている。

 

ENDINGも14拍に渡る通常の和太鼓の演奏にはあまりない形にアレンジされた。

よく人に、鼓絆はなぜ伝統やTRADITIONALな演奏形態を取らずに、

ドラムやシンセ、ギター等と演奏するのかと問われる事が有る。

 

何故ならそれが一番自然だからです。

我々が子供の時、習ったのはピアノやTRUMPETで、

決して伝統和楽器などではなかった。

それらは曰ば後転的なもので、たまたま好きになって、

普通のギターやドラムをやりたいなと思うのと同じ次元で自分で選んだにすぎない、

そう答える事にしている

いつも聞いていたのはJAZZやROCKであり、

決してそれを伝統の和太鼓継承者のように振舞うのは

聞いてくれる人を騙す事になるとさえ思っている。


さて前にめでたいとは日本人の精神的構造の底辺を支える

ありがたい状態と定義はしたが、

日本に於いて、その底辺が我が国の完全なるオリジナルといえるものは

実は本当に少ないのだ。

それに、民俗学から見ても日本人は単一民族国家でもなんでもなく、

あらゆる雑種多種多民族国家であり、

日本的な響きとされる琴や、雅楽の簫、篳篥(しょう、しちりき)も

基を辿れば外国からの輸入ものである。

 

しかし、今日この音を聞けば

誰でもまさに思わず和、雅び、寿などの感じがフット疑いも無く沸き上がり、

思わず襟をただしてしまうようなそのアレンジ力、

そして巧みに我が国の風土に合わせ昇華させるという

そのなんというか才能のようなものに、心より敬服してしまうのであります。

 

JAPANESE POPは我々が20代の頃に必死になって模倣した

外国のROCKではない、

もう立派な我が国の1ジャンルになった。

確かに外国人からみれば、

やはりその音楽的構造やルーツの面から匂いを嗅ぎ取り、

コピーというかも知れないが、我が国の文化はそのようにして発展して来たのだ。

 

反対に伝統といわれる物もその構造をよく見てみれば、

ちょっと躊躇ってしまうような物も多い、

太鼓などもその代表みたいなもので、

はっきり言うが、これは日本の伝統でもなんでもない。

 

あえて言わせてもらえば

人類の伝統と言っても過言ではない筈である。


しかし太鼓の肩を持つわけでは無いが、

日本人の精神的構造に合わせここまでに昇華させた先人達の業績に

改めて敬意を表するのものである。

太鼓はもはやJAPANESE DRUMでもJAPANESE PERCUSSIONでも無い、

世界中でTAIKOで通ずる数少ない我が国のオリジナル商品である。

 


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