本当に申し訳ない、相済みませんという気持ちを表すのに
懺悔(ざんげ)という行為がある
これは自戒と反省を込めて自らの心に
あるいは目に見えぬ神仏に心からの謝罪をなす行為である
しかし懺悔にはもう一つあって
その心からの謝罪を広く周りの方々に語って
己の過ちを他に伝えて、いわば言葉に変えて己の戒めとする
その行為を慚愧(ざんき)と言う
その二つの言葉を合わせて慚愧懺悔(ざんきざんげ)と申すのであります
つまり自らの行為を広く周知させて
本当の意味での懺悔と申すのであります
いや、なんでそんな話をするかと言うと
最近ハラスメント等という外国語と共に
その道理にそぐわない行動が
昔と違って社会的にも糾弾され
特に我々クラスの年代は基本的にそういった
今の規範についていけない感覚を持っているとみなされ
老害等と揶揄される場面も多くなっております
従って特に注意をしてそのような疑われる行為や言動を
最近は自らに厳しく戒め
常に自らの行いを見返っていかねばならないと思っておりますが
まあ、しかしながら今は決してそんないじめのような
ハラスメントに通じるような行いは努めてなさぬよう努力しておりますが
過去に於いてはそれに準ずるような行いをしてきたのは否めません
いや、本当に今思うと申し訳なかったと思います
そこで今日は反省をこめて二度とそのような権威の行使をしないように
ここに記して参りたいと思っております
ジャージ革靴と弁当菩薩
長年和太鼓の奏者というだけではなく
一時日本国内そして海外にも
500人を超える和太鼓の後輩達がいた時期があるんですわ
基本的に私と西野より年上の者はいなかったから
所謂我々二人が頂点
あらゆる権利の保持者として組織内の指導的立場にあった訳ですが
まあ、ちょっと考えてみてください
当時我々も30代
後輩たちは20代のガタイと威勢の良い男子達
やんちゃなのも多かったので
自然と厳しい掟と規律が必要とされました
そこで考えたのが様々なしきたりと言うか
ルールというか、そういう決まり事で彼らを制していたのであります
いや、それだけに限らず色々と理不尽な行動もしてまいりました
例えば、掛け声等声が小さい時等2,3時間壁に向かって声を出させたり
発言もコロコロと変わって後輩達から
「昨日と言ってる事が違うんじゃないでしょうか」等と指摘されても
「うるさい!太鼓は生きている、違って当然だ!」等と𠮟りつけておりました
まあ当然、入部したての新人等は
すぐに太鼓が打てる訳ではなく
中には数年の修業をへてようやく太鼓に我々の許しを経て触れるといった
根性と忍耐の日々を過ごして行く訳です
で、そういった連中を本当にコンプライアンス的にも
今では許されない事ではありますが
ジャージ革靴あるいは弁当菩薩と呼んでおりました
勿論名前も呼んでもらえず、仇名で呼ばれれば御の字という
そんな状況の中
和太鼓にはお祭りあるいは公演
そして日々の練習等がありましたが
なんて言いますか、太鼓うちのイメージというか
昔から半端物、荒くれものといった感じが
我が国では定着しておりましたので
どうもそういったイメージを払拭していかねばと
スーツとネクタイの着用を義務付けた訳であります
どんな時でもしっかりとした身なりをするようにと言いましたが
実際に舞台で演奏する我々にはその義務はありませんでした
で、実際公演の時は我々は法被、草履等でしたが
彼らはどんな時にも瞬時に対応できるようジャージー姿に着替える訳です
それはおまつりでも練習の時でもジャージー姿
更に用があればすぐ行動に移れるよう、
太鼓の運搬から会場整理
あるいは瞬時に外にも飛び出ていけるよう
履物はスーツのままの革靴で通しておりました
履き替えてるそんな悠長な時間はないのだという意味であります
つまり上履きとかスニーカー等は出演メンバーだけ
で、その姿がジャージーで革靴でしたので
彼ら一団はジャージー革靴(かわぐつ)と呼ばれておりました
これは当時の我々の師匠とよく共演されていた
ジョージ川口さんがネーミングの由来となっております
太鼓の一日の中、当時は至福の一時もございました
それは昼食也公演の合間の休憩食事タイム
此の時もジャージー革靴達の出番でありました
当然主催側からの提供もありましたが
練習の時等は弁当やに人数分調達に走る訳で
その時だけはジャージー革靴も一時的に弁当菩薩とネーミングも変わり
出演メンバーに至福の時を与える為に
雨や槍が降ろうが、雪が舞い散ろうと
「弁当菩薩行ってこ~い!」の一声で
一目散に奔走しておりました
当然注文と違った物、或いは人数分足りてなかった時などは
まあ、今思えばなんという愚かな罪を恐れぬ言動だったと思いますが
事もあろうに菩薩を叱責、あるいは菩薩に罵詈雑言という事も致しました
という事であれから30年を超えた年月を数えましたが
今彼らはどうしているんでしょうかね
当然そのまま太鼓を打っているなんてのは一握り
殆どは家庭を持ち良い歳周りになっているとは思いますが
あの時の我々の仕打ちをどう思っているんでしょうね
過去の行いは取り消す事はできませんが
この一年の終盤を迎えていく今
当時のジャージー革靴達の事を思い浮かべつつ
慚愧懺悔の聖水を持って水に流していただき
笑って許して頂けるよう願う管理人ではありました
今更長い時間が経ってしまい到底懺悔してもし切れぬとは思いますが
改めてジャージー革靴と弁当菩薩に許しを請う秋の夜長ではあります 乙