前にも話した事あったよね 確か ・・・
ウソでも ホントでも blog は 此の世に 事実存在するヒトが書いてるンだもの
それが 真実でなくても それはそれでいいと思う
空想でも 理想論でも それはそれでいいと思う
そうして居ることで 何か意味があると思う・・し
ワタシは 幼い時に もの凄い 恐怖を体験した
姉弟の中でも 感受性が強い子だった
いつの頃からか 人の目が気になる事も 身に付けた
自分を 自分の中の自分が 操ることも知ったのはある御葬式がキッカケで
御葬式の悲しい最中に 悲しい顔を装うこともできた
悲しみの中でも 御葬式の 当の本人(死者)が 不幸になったことを 喜んでもいた
決して コトバにも カオにも出してはイケナイとも解っていた
それだけ ワタシに 恐怖を覚えさせた本人だったから
けれど死者だけがワタシの心を見通せるンじゃないか
それを知られるのが 怖くて 御葬式の時間が怖かった記憶が とても強く残っている
そんなとき 自分にとって 大好きな人が死んでしまう御葬式に遭遇したとき
その御葬式が 本当の悲しみの儀式と解るようになった
ワタシに記憶がない頃から 恐怖の生活がされていて 、ワタシの記憶が薄っすらとある頃から 家中のガラスと云うものが破られていく
またその音
固く握った拳が 血で どす黒い赤だったし
ボクシングのジャブをしているかの様に ガラスを破るその目つきは怖かった
とても優しくて 、とてもイケてるフェイスなその人が 、悪魔に取り憑かれて別人になる
幼かったワタシは 同じ人間にそんな別人格を持つ事が 理解できずにいた
毎日 そういった姿を見ていると 生きた心地がしなかったし
ワタシ自身が 少し感情がおかしくなっていた事に 家族の誰も 気付かなかったと思う
今頃になってとても想う
ねぇねぇ マンマ 、子どもの異変を気付こうよって
たったの四年そこいらしか生きていなかったワタシには 、そこまでワタシを脅かす日々を作った その人の死に 涙が出てこなかったワケで
目の前に なにも抵抗をせず 横になり この先ずっと 生きては来ないその恐怖の死者の御葬式
ワタシは 薄っすらとの記憶に 一度も見ることが出来ずに別れた
最後のお別れだろうと 「 最後に見てあげて 」 と云われても 怖いことに変わりはない
何と無く 本当かどうかは覚えてないが 、血の気を失った 人間のヌケガラだったとしか記憶にない
な もんだから 大人になって 不幸があった際には 「 どうぞ 最後にお別れしてあげて 」
と 云われたら 本当に困ってしまう
あのーう 、いえ 、怖くてムリです
そんな 気を確かに平然といってよいのですか ?
ダメでしょ
それでもワタシは 装うことがとても上手
胸のうちで想い考えて居ることと 側から見て映るワタシの容姿とは 明かせない
なんて罪な人間なんだろう って
その場に置かれた立場と とんでもない思考を働かせているのに
いろんな事を 経験して 体験して 学んで生きてきたけど
特別 それを生かして 今の人生を送っている事は先ずない
全て 中途半端な事ばかりだった
人の優しさに触れ合えると その分 それ以上にお返しをしたくなる
それは覚えた
同じ人間とは思えない程 冷酷な男の人が沢山居た
そして 男は強い生きもので 女は弱い生きもので
ずるい! と思っても 神が作った生きものだから仕方ない
それでも ワタシがこの世の中でたった一人
心から愛するひと
此の世に 生きて存在してくれている
もし その人が 死んでしまったら ワタシはそのヌケガラを怖がるのだろうか
自問自答している事が よくあるモノです
皆んな 、此の世に誕生した時には 平等に生を与えられたハズ
キセキの重なりで誕生できたのに
それなのに 元々 病気で短い命の者
優しいのに 生い立ちに恵まれず 凶悪犯となる者
良くないモノと知りつつ 人間の命を自ら断つ者
予想もしなく命をとられてしまう者
さまざまな形の 命の終わりを迎えてしまう
どんなに偉くても 貧しくても 死も 平等
ワタシは 今置かれたワタシの環境に 有難いと思い 感謝をしなければ
そう切に思ふ
シアワセは何処からがシアワセかと 評価するのも自分だけど
此の世に ワタシが愛してます と想える人が存在するなら
シアワセだって考えなくてちゃ バチが当たる
欲深かしい 生きものだけどね
でも 毎日を生きていると アレコレ欲は出てきます
それってワタシだけ ?
其れでもワタシは 本当のことを云えず ココマデ来た
別に 誰もワタシの本当なんて知りたくないわ
ワタシも ヒトの本当を知らなくても 事実存在するヒトなら それでいい
いろんな人に出会う事が少なくなって来ると
こうして blogの旅をして いろんな人に出会うのが素敵と感じる
ただ それらを読んでいて 凹んでしまうのが
ワタシは ありのままのワタシを話せ無いと云うこと
素直に ありのままをblogに書かれている人たちを目にする度に
ワタシも ありのままを書いて居れたら どんなに ラクかな
どんなに 話題も豊富かな
どんな情報交換ができるかな
なんて 思う ・ ・ ・
これでもカミングアウトぢゃんて 、まだまだサ
広いようで 狭くて 、何処かでこんな繋がりからで ワタシがワタシと ?
知ってしまったら ?
だから もう シーーーーっ ・ ・ ・
もしかしたら ワタシは 此の世に居てはイケナイかも知れないから
正体が バレたら 捕まってしまうよ ナンテね (笑)
いろいろなヒトのblog にお邪魔して いろいろなことを感じた
とても 本当に いろんなこと全てが 無駄になっていないし
為になっていること
ワタシがこうして居るのもワタシだし
現に 素敵だなって想う人がワタシには沢山居るから
こんなワタシにも こんな愉しい優しい素敵な人たちが blogを通じてお友だちで
器量が良くて 人情厚くて 心の底から自慢出来る
ワタシは 一度 、自分の罪に 償おうと 死んでみました
でも 、死んでいませんでした
沢山の人が とてもとても 助けてくれました
だからもう 、絶対に 自ら死を選んではイケナイと思います
不幸の中の人生に 、少しだけのシアワセを感じて生きるのが人間
どれだけ シアワセと感じるかは自分だから
ワタシは 【 あるひ 】が 誰よりも 大好きです
ワタシは 【 あるひ 】が居ないと生きてはゆけない
だから ワタシの気持ちは ココだけでしまうから
お母さんは お母さんでいる前に ワタシなのです
でも 貴女たちにとって ワタシは お母さんだね
愉しいおバカなお母さんでいることは間違いないから
日々 おいしいご飯を食べて 笑って 過ごしていこう
もうこの話は 終わりにします
一方的に吐くだけで 、なにかの罪悪感から 少しだけ 抜け出せたように感じます
なんの変哲も無い blogへ ありがとうございました