風のいろは 何いろ?

手を休めずに種をまきなさい。
どの種が芽を出すか、わからないからです。
(リビングバイブル:伝道者の書 11-6)

”窮屈”は 身と心の毒?

2005-05-12 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
  最近夕方になると 足がむくんでパンパンになり、靴がきつくて辛くなります。 ずっと同じ靴を履いているのに、おかしいな、と思いました。 もしかしたら、、、、思い当たる原因は 一つ。 ナースシューズが壊れて、元々あった予備を履いていますが 踵の少し高いシューズなんです。値段も高めですが、デザインが可愛い♪ ナースの娘が通販で買う時、一緒に注文したものです。 日中は慣れてきたのか まあ、一日履けてはいるのですが やはり夕方が近づくときつくなってるような…。

  先日 娘に買ってもらった(あ、でも彼女は見てないかも…)靴を履けばいいのですが、貧乏性なもんで、下ろすのがもったいなくてまだリボンをかけた箱の中です ^^;

  さきほど、<b>「クリスチャン新聞・福音版 3月号」</b>を読んでいたら、こんな文章がありました。 一度は読んでいるのですが 今日の方が、ぐっと胸に迫ってきました。
  靴の話から始まる <b>≪間に合わせで済ませていませんか≫</b>というタイトルの文です。


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  器が合わなければ中身の方をなんとか合わせてしまうということは、日常生活でもよくあることではないでしょうか。でもそんなことを続けていると…………器も中身も両方だめになってしまうことになりかねません。
  器とは枠組みあるいは手段、中身は自分自身と考えてみたらどうでしょうか? …………自分にぴったりの枠組みがあるにもかかわらず、周りの目を気にしたり、よけいな気遣いをしたりして、自分には全く合わない枠組みに自分を押し込めてしまうことがないでしょうか。 ………自分に合わない枠組みに自分を押し込めるなら、早晩、行き詰ってしまうでしょう。
  もしかしたら、今、行き詰まりを感じている人は、自分に合わない何かに自分を押し込めてしまっていないでしょうか。
  聖書の語る神さまは、私たちをそのままで愛すると言ってくださいます。 周りの目を気にして自分を取り繕ったり、無理矢理、自分を型にはめたりしなくてよいのです。…………
  この神さまを心に迎え入れ、背伸びをせずに、自分にしかできない人生を生きてみませんか。



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