風のいろは 何いろ?

手を休めずに種をまきなさい。
どの種が芽を出すか、わからないからです。
(リビングバイブル:伝道者の書 11-6)

小さな祈りだったのに

2004-02-01 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
礼拝に行く道中も少し眠気があった。 礼拝中はどんどん眠気がアップ。 これでは福音集会は完全に船を漕いでしまうなあと、礼拝だけで帰るつもりだった。
私のところに聖餐のパンがまわって来たので、小さな祈りを捧げた。 (礼拝で捧げる祈りは 感謝と賛美と聞いたことがあったので、最近は個人的な祈りを心でしないようにしていた) 『福音集会で目を覚ましていられますように』。 あ~ら不思議。 眠気が無くなってしまった。 嘘のようなほんとの話。 自分でもびっくりさ。
帰らなくてよかった♪ すばらしいメッセージだった。 今日は松田兄。 松見兄と松田兄のお顔がなかなか区別できないでいるので(10年も集っていながら!)、メッセージの初めに、お顔を見ながら急いで似顔絵を描いた。 ゆっくり考えれば、オルガン奏者の松見姉妹のご主人が松見兄、と結びつくけれど、名前と顔が、ぱっと浮かばなくて。 似顔絵のおかげでばっちり!

今日の学びは、旧約聖書:創世記に記録されている「サラ」さんという女性のこと。 彼女の人生は、決して主に従い続けたものではなかった。 時には自分の勝手な判断や考えで、ご亭主(アブラム=後のアブラハム)まで巻き込むこともあった。 自分の奴隷女やその子まで。 神様が年取ったアブラムとサラ夫妻に 必ず子供を授けると約束されたのに、なかなか果たされなかったので、奴隷女のハガルにご主人の子を生ませ、自分の子としようとしたのだ。 しかしやがて本当に夫婦の間に子供が授けられたら、今度は奴隷女に生ませた子供が邪魔になり、ハガルのことも追い出そうといじめた。 (ああ~、サラさん。すべてあなたが考えて回りの人がその通り動いただけなのに、あなたったら、なんて自分勝手なの?)←兄弟曰く、サラさんも私たちとなんら変わらないものだった。

しかし、こんな罪深い自分勝手なサラさんの事をも、神様は祝福してくださった。 サラさんやヤコブさん、旧約聖書に出てくる方たちも、生まれながらの人は普通の人と変わらない。 でも一日一日神様の恵みと赦しによって生きることができた。
なぜ そんなサラが、神様の祝福を受けることができたか? 神様は、その人の行い(善行や徳、など)によって祝福するのではない。 恵みによって祝福するのだ。

救い(あがない)は完成している。 その中に私たちは生きている。 神の一方的な憐れみによって__。

<font color=red>  イエス様を信じる
    =イエス様と共に、十字架に古い人をつけた
    =イエス様の復活と共に、私たちも復活した
     (私たちは肉の力では生まれ変われなかった。)
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