風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

♪さとうきび畑 で思い出すこと、考えたこと

2003-09-29 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
♪♪♪で約一年前取り上げた歌、「さとうきび畑」。その歌にちなんだドラマが、さきほど終わりました。

    ♪お父さんと 呼んでみたい お父さん どこにいるの
     このまま緑の波に おぼれてしまいそう

(「このまま緑の波におぼれてしまいそう」は 私の記憶では「このまま緑の波に埋もれてしまいたい」なのですが…?)
私は父にとても愛された娘でした。ですから、どんな事情があるにしろ、娘たちの人生から「父親」を奪った自分を、本当に主に出会うまで、ずっとずっと責めて来ました。再婚しなかったのもその事があってでした。(クリスチャンでもないのに、これは自分の十字架だと思っていました^^;)
この歌をお風呂で一人歌う度、歌に登場するこの人の思いにどうしても娘たちを重ねてしまい、やりきれなくて泣いていましたっけ。それがこの歌の思い出。。。 (馬鹿だなあ、私。わざわざ泣くために歌っていたのかしら???)


昨年夏には、シンシアこと、南沙織の歌も取り上げました。「♪哀しい妖精」。彼女は沖縄出身(もしかしたら、沖縄出身第一号アイドルかも?)。若い時、『二十歳離れ』という新書サイズの、彼女の詩とエッセイで綴られた本を読みましたが(二十歳離れというのは、21歳、という事)、そこで初めて、彼女が日本語をあまり知らない事を知りました。詩には、彼女がもともと書いた英語が添えられていたのです。それを翻訳してこの本を出版したようです。
「さとうきび畑」は、反戦歌です。今日のドラマで、沖縄戦が終わったのがS20年6月23日だったと知りました。終戦後(本当は敗戦後、というべき?)、沖縄は長い間、アメリカの領土でした。
シンシアはもしかしてハーフだったのでしょうか?彼女が生まれたのはS29年。まだまだ沖縄がアメリカ軍に占領されていた頃でした。いずれにしろ彼女はきっと日本語を話す事もあまりできなかったと思います。


沖縄戦について、私はうっすらとしか知りませんでした。断片的にしか。今日ドラマを見て、第二次大戦において、沖縄がどんなに大きな犠牲を日本のために払ったのか、ありありと情景を見させられました。もちろんドラマですから本当の悲惨さは伝わっていないと思いますが。
また、戦争という大義名分のもとに繰り広げられる殺戮、殺人。もし自分が兵士の立場だったら、あの時代に生きていたら、いやこれから先に戦争が起こって同じ立場に立たされたら、やっぱり自分も人を殺したんだろうなあ、殺すんだろうなあと想像しました。
どうしてアメリカは沖縄を狙ったのでしょう? 本土から離れた島だったからですかね。情報が本土と断ち切られやすいから有利?そこを足がかりに本土を攻撃するため?
結局最後に広島と長崎に原爆が落とされ、日本は降伏したのですね。


終戦の年、父は18歳、母は14歳でした。あの時代を生きてきた人は、食べ物を大切にしますね。お腹いっぱい食べられなかった…。

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そういえば、今日礼拝時に伺った話。戦争が原因ではありませんが、親戚の方がアフリカの方と結婚し、そちらに住んでいる。子供を生むため帰国しているので、会いに行ったら、現地の悲惨な状況を聞かされた。う~~~~~ん。。。。 そうですね、ちょっとここに書くのはやめましょう。。。 本当にすごい話でした。ニュースなら他人事ですが、身近にそんな暮らしを体験された方がいるとなると、なんと言うか、不気味な感じがします。

とりとめもなく書いてしまいました。
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