風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

鶏が鳴く前に 三度 私(主イエス)を知らないというだろう

2011-04-24 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
mannaという いのちのことば社のディボーション冊子をとっています。


【4月20日の学びより】

ルカ 22章 「主イエスを否むペテロ」です。
例の 鶏が鳴くまでに 三度私を知らないと言うだろう・・・と
いう 箇所です。 ここは 信仰が深くなればなるほど 
信徒の胸に迫る場面だと思います。

記述されているどこかの牧師さんのメッセージから。
(数人が担当されますが どの部分を誰が担当したかは
 明記されていません)


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メッセージ 【主に見つめられて】


・・・・・・鶏が鳴きました。
ここに至って彼の弟子としての自負心・プライドは
音とを立てて崩れ去ります。・・・・・・
「主が振り向いてペテロを見つめられた」
・・・・・・ペテロの心に深く突き刺さったのは、鶏が鳴いたその時、
振り向いてペテロを見つめられた主イエスのまなざしでした。

・・・・・・主イエスのまなざしはペテロを覆い包むすべてを突き抜けて、
ペテロという裸の存在の核に光を当てるようなものだったのかもしれません。
そのまなざしに見据えられた時、ペテロはありのままの自分を
見たのではないかと思うのです。・・・・・・
ガリラヤの一介の漁師だった自分、主の召しによって救われて弟子とされ、
主によって罪赦されなければならない罪人としての自分の姿です。
★主に見つめられることは時に痛みを伴います。
目を背けていてほしいというときがあります。
主を知っているからこそ、その視線に心痛むことがあります。
しかしそれは私たちにとってなくてはならない、
恵みのまなざしなのです。・・・・・・


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★は 私がつけましたが ★以降のメッセージが 心に沁みました。
感謝です。

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