風のいろは 何いろ?

手を休めずに種をまきなさい。
どの種が芽を出すか、わからないからです。
(リビングバイブル:伝道者の書 11-6)

<font size=2>健康  (聞き流してください・・)

2004-03-05 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
身体が100%健康な人は、それほどいないと思う。
自分でも気づかない異常な場所が、多少どこかにあると思う。
同じように、心が100%健康な人も、それほどいないと思う。
私はまだ心療内科などにかかったことはないが
いつも、自分は鬱の傾向があるのではないかと感じる。
クリスチャンと自称していて、ここに書くのはどうかと思い、
書かないでいたけれど、実は、マイナスの気持ちが強く働くことがある。
        ↑
信仰を持っているのにやっぱり平安がないの?とか
なあんだ、イエス様、神様って言ってても役に立たないじゃないかとか
ここを読まれる方に批判されたり誤解されたりするのを恐れて。
何よりも、神様の栄光を汚しそうで、それを恐れて。

yuzuさんやCissacさんは鬱という病をお持ちだそうだ。
鬱、どのような心の状態をそう名づけるのだろうか。

私は、時々、生きているのが嫌になる。
人生の孤独感と空虚さから信仰を通して解き放たれたと思っていたのに
時間とともに、またまたそんな思いにとらわれている自分がいる。
こんな私は、鬱とは言わないのだろうか?
心の病気があるとは言わないのだろうか?
特に心の病を持っていなくても、人は時々そんな思いにかられるのだろうか?
しかし、そんなことを一度も考えたことのない人もいると思う。
それって単に性格の違いなんだろうか?
心の強さとか弱さとかの問題なのだろうか?
虚しさというのは、私にとって、本当に本当に辛いことなのだ。
涙が出るほどに。

そうは言っても、先ほど「神様の栄光を汚しそうで」と書いたが
神様は偉大すぎて、こんなたわごとなんかで
その栄光が汚されたりはしない。それは断言できます。
でも、ここを読まれた方、そして神様。
本当にこんなこと書いてごめんなさい。
でも、本当に私の心にあることなので、書く事を許してください。
ほんとうに何もかもごめんなさい。




何も思い煩いがなく、心が生き生きしているときは
もちろん上記のような思いは生まれてこない。
生まれてきてよかった~、すべて感謝です、と心から思う。
たとえ困難があっても。
しかし、もしかしたらそんな時は、
意外と神様から遠く離れているのかもしれない。

ふ~、どうか今書いたこと、聞き流してください m(__)m
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