風のいろは 何いろ?

手を休めずに種をまきなさい。
どの種が芽を出すか、わからないからです。
(リビングバイブル:伝道者の書 11-6)

【1】果たされた救いの計画  (ベック兄 9月1日 メッセージより)

2015-09-29 | 信仰
2015年9月1日(火)吉祥寺学び会
                    ベック兄

引用聖句
創世記
3:21 神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくだ
さった。

3:22 神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪
を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に
生きないように。」

3:23 そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこ
から取り出された土を耕すようになった。

3:24 こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の
東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。

4:1 人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主に
よってひとりの男子を得た。」と言った。

4:2 彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カイ
ンは土を耕す者となった。

4:3 ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来た。

4:4 また、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身
で、持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。

エペソ書
1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキ
リストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいまし
た。

1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御
前で聖く、傷のない者にしようとされました。

1:5 神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子
にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。

1:6 それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、
ほめたたえられるためです。

1:7 私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦し
を受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。

ヨハネ伝
17:1 イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時
が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてくださ
い。

17:2 それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるた
め、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。

17:3 その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣
わされたイエス・キリストとを知ることです。

17:4 あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げ
て、地上であなたの栄光を現わしました。

17:5 今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前
に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。


 この前の回で、考えも及ばない絶望的なアダムの状態について考えてまいりまし
た。この状態は、実際は希望のない絶望的な状態でした。アダムは、いつまでも悪魔
と罪の奴隷でなければならなかったのです。 悪魔は、必ず喜んだでしょう。「自分
は勝った。神の御心は駄目になった。人間はいつまでも自分の奴隷になった」と勝ち
誇ったに違いない。
 これが終局なのでしょうか。決してそうではありません。なぜならば、主なる神の
御心は、このどうしようもない堕落してしまった人間を救おうと思ったからです。し
かし、ここで一つの書き表すことのできない難しい問題が出てきました。なぜなら主
なる神は、全く聖なるお方ですから、人間の審判者とならなければなりませんでした
から。もし主なる神が、罪を罰しないならば、結局、罪と妥協することになります。

 これは考えることのできない事です。主はしたがって、罪を罰し、罪人を追放せず
にはおられないからです。けれども、主なる神は全く愛の持ち主であるから、救い主
ともなられました。

 主ご自身がイエス様の内に、この地上に来てくださり人間となりました。これは言
い表すことのできないほどすばらしい逃れ道でした。主なる神の救いのご計画、これ
は今までの我々の題名でした。この計画が果たされなければなりませんでした。その
ために、主なる神は人間になられたのです。

第2コリント
5:19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の
責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。

 今日の題名は、今話したように「主の計画を完全に果たされた」あるいは「果たさ
れた救いの計画」と言うことができます。3つの点に分けたいと思います。

第1番目、苦しんでいる三位一体の神について

第2番目、イエス様の受肉

第3番目、イエス様の犠牲の死であります。

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