風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

マラキ書から  ベック兄 メッセージ聞き取り

2010-01-31 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
MLにUpされたものから。



マラキ書から

ベック兄 1月2日 午後 御代田交わり会


 二三の聖書の箇所を読みたいと思います。マラキ書です。
ご存知のようにマラキと言う預言者が生きた後で主は400年間語らなかったのです。
ですから、その最後のマラキの御言葉は、
非常に大切なのではないかと思います。
 
 この間、ドイツへ行った時、マラキ大会に参加した事があります。
どうして、マラキ大会になっちゃったのか、
ちょっとわからなかったのです。
テーマは、いわゆるカリスマ運動は、
違う霊によって動かされているものです。
聖霊ではなくて、悪霊です。
 
 カリスマ運動の考え方とは、たとえばイエス様を信じれば病気が治る。
イエス様を、信じれば金持ちになる。
イエス様を信じれば、成功する云々です。
人間は、そう言う福音を聞きたい。
けど、聖書の言っている事は、違います。
 
 多くの人々は、一時的な問題が解決されればいいじゃないかと
思っている。けれども、違う。
主は、一時的な問題を解決するよりも、
一時的な問題を次々に与
えてくださいます。
そして、カリスマ運動の人々とは、
「あなたはねー救われて
いるかもしれない。
けれども、最も、大切なものを持っていない。
聖霊のバプテスマを受けていないからです。
聖霊のバプテスマを受けた結果は、
あなたは習っていない言葉で祈ったり、
賛美したりできる云々・・」と。
 
 この運動は、ちょうど100年前にアメリカで
起こったものです。黒人の間でです。
それから、ヨーロッパまでいくようになり、
ドイツまでいくようになって、結局、指導者たちは、皆、
道徳的におかしくなって、離婚したり、いろいろ人々と、
親しい関係を持つようになったり、もうたいへんでした。
 
 その時、ドイツの一番主によって用いられた人々は、
当時ベルリンに集まって、長く話しあったり、
そして、ひとつの文章を作っちゃったのです。
大体世界中の人々が知る文章です。
すなわちカリスマ運動は、決して、聖霊ではない。悪霊です。
 
 そして、現代の多くの人々は、100年前はそうだったかも
しれないけど、今は違うと思ってしまう。
ですから、この間、マラキ大会で、
この注意が当時必要であっただけではなくて、今日も、どうして、
必要であると言う事だったのです。


 
 マラキ
1:5 ・・・「主はイスラエルの地境を越えて偉大な方だ。」と。

2:8 しかし、あなたがたは道からはずれ、・・・

2:9 ・・・あなたがたがわたしの道を守らず、えこひいきをして教えたからだ。」

2:16 「わたしは、離婚を憎む。」とイスラエルの神、主は仰せられる。・・・

3:5 「わたしは、さばきのため、あなたがたのところに近づく。・・・



 そして、このマラキ大会のもとなる御言葉は、3章16節でしょう。
 


3:16 そのとき、主を恐れる者たちが、互いに語り合った。
主は耳を傾けて、これを聞かれた。主を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちの
ために、主の前で、記憶の書がしるされた。

4:2 しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、
義の太陽が上り、その翼には、癒しがある。・・・

4:4 あなたがたは、わたしのしもべモーセの律法を記憶せよ。・・



 ま、2400年前に大切な言葉ではなく、
今日も、大切な言葉なのではないでしょうか。
我々は本当に、本当の意味で、
主を恐れる者たちなのでしょうか。
いわゆるキリスト教の国々を見ても、
主を恐れる人々はあまりいない。
みんな自分で勝手に思い込むのです。
主の名を使っても。

ですから、この節が、我々に当てはまればすごい。
今日の、集いも、そう言うものであれば、
「 そのとき、主を恐れる者たちが、互いに語
り合った。
主は耳を傾けて、これを聞かれた。
主を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために、
主の前で、記憶の書がしるされた。」



この書に。我々の名前も載せられれば、
すごいのではないでしょうか。
 
 おわり
 
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