荒野の食卓 3月19日 by ニー兄
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律法によらないでは、私は罪を知ることが
なかったでしょう。
律法が、「むさぼってはならない。」と言わなかったら
私はむさぼりを知らなかったでしょう。
ローマ 7.7
神は私が何者であるかをご存知です。私のてっぺんから爪先まで、罪に満ちていることを神はご存知です。主を喜ばせようとしても、私は肉の弱さを持ったもので、何もできないことを主はご存知です。ただ問題は私がそのことに気づいていないことにあります。・・・・・・私も罪人だということを私は受け入れていますが、ある人々のように自分もどうしようもない罪人だとは考えていません。私は弱いものであるということに同意する一方で、完全にそれを信じてはいませんので、神は何かを用いて、私にありのままの姿を認めさせなければなりません。神が私たちに律法をお与えになった理由はそこにあります。なぜなら<font color=red>私たちが律法の要求に応じようとすればするほど、私たちの破綻は明らかにされます。・・・・・・・・・・・・・・
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律法によらないでは、私は罪を知ることが
なかったでしょう。
律法が、「むさぼってはならない。」と言わなかったら
私はむさぼりを知らなかったでしょう。
ローマ 7.7
神は私が何者であるかをご存知です。私のてっぺんから爪先まで、罪に満ちていることを神はご存知です。主を喜ばせようとしても、私は肉の弱さを持ったもので、何もできないことを主はご存知です。ただ問題は私がそのことに気づいていないことにあります。・・・・・・私も罪人だということを私は受け入れていますが、ある人々のように自分もどうしようもない罪人だとは考えていません。私は弱いものであるということに同意する一方で、完全にそれを信じてはいませんので、神は何かを用いて、私にありのままの姿を認めさせなければなりません。神が私たちに律法をお与えになった理由はそこにあります。なぜなら<font color=red>私たちが律法の要求に応じようとすればするほど、私たちの破綻は明らかにされます。・・・・・・・・・・・・・・
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