風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

荒野の食卓 by Watchman Nee  7/9~15

2004-07-29 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
7月9日*******************************

・・・・・・・・日夜サタンは我々を告発しています。サタンの訴えは根拠のないものですが、私たちの良心・・・・・・に向けられるのです。<font color=red>サタンの目的は私たちを考え込ませて絶望の深みに追い込むことなのです</font>。・・・・・・・・・良心は大切です。しかし際限なく「私は駄目だ。私は駄目だ」と繰り返すのは、キリスト者の謙遜ではありません。自分たちの罪を告白することは健全なことです。しかし<font color=red>私たちの罪がキリストのみ業よりも大きな陰となって私たちの前に立ちふさがるまで告白することがあってはなりません</font>。あなたや私に対するこの幻影の創造以上に効果的な武器をサタンは持ち得ません。救済策は何でしょうか。神に対して有罪を認めなさい。神に告白しなさい。「主よ。私は駄目です」。<font color=red>しかしそのとき尊い血潮を思い起こしなさい。神の栄光を探し求めなさい。</font>そしてこう付け加えなさい。「しかし主よ、私はあなたにとどまります」。


7月10日*****************************

・・・・・・・神はヤコブが治めるようになるとはっきり語ったのです。・・・・・・・・・しかしそんなある日、彼の父は自分を祝福してもらおうと、エサウを狩りに行かせたのを知ったのです。もしそうなれば、神の約束はどうなるのでしょうか。・・・・・・・・ヤコブは
神のためにことを起こしたのです--目的を達成するためにヤコブは父親をだましたのです。・・・・・・・そうです。彼は神に選ばれたものです。神はヤコブを欲していました。しかしそのときヤコブはまだ、神についても自分についてもわからなかったのです。実際に彼が受け取ったものは<font color=red>神の訓練という厳格な処方箋</font>でした。<font color=red>ずるがしこい者には多くの処方箋がいるのです</font>。


7月11日*****************************

<font color=blue><b> 人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。
            ガラテヤ 6.7</font></b>

・・・・・・・・私たちの罪はキリストにあって赦されているのでしょうか。そうであるなら、私たちの進路が少しでもそれたときはいつでも私たちに警告を与えるように仕組まれた神の道で、優しく取り扱っていただくということは大きな特権です。私たちが今日経験することは私たちの過去と直接結びついている、すなわち以前蒔いたものの刈り取り、ということをしばしば意味するのです。・・・・・・・だれかの行いを批判しましたか。それなら早晩私たちもまさにその行いをしていることを発見し--結果を刈り取ることになるのです。なぜなら、神によって、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。「あなたが兄弟の過ちに気づくなら、あなた自身に過ちがあるのに気づいているべきだったのです」。それが原則です。
神の道は厳しいものではありません。なぜならそれは愛の道ですから。・・・・・・神の道を迎え入れよ。そうすれば目に見えぬ多くの危険から我々は逃れることになるのです。


7月12日*****************************

<font color=blue><b>あなたがたは、人を量る量りで、、自分も量り返してもらうからです。
               ルカ 6.38</font></b>

 私の知っている兄弟は驚くほど批判的でした。彼の18番の見解は「神のみ手がくだった」でした。・・・・・・あるときには正しかったかも知れません。しかしある日、その兄弟が快く思っていない別の兄弟が息子を亡くしました。そして、・・・・・先の兄弟によって次のように書かれた手紙を彼は受け取ったのです。「神のみ手があなたに下った」。私は・・・・・・・激しい怒りを覚えました。
そして恐るべきことに、それから2週間もたたないうちに、先の兄弟の子どもは病気にかかり、死にました。そのとき私に誘惑が忍び込みました。私はペンをとり便箋に書きました。「愛する兄弟。お子さんを亡くされ、とても悲しく思います。しかし、あの人に神のみ手が下って、裁きとして子どもをとられたのなら、あなたの場合はどうなのでしょう。神のみ手があなたに下ったということを喜んで受け入れますか」。そのときはだいたいこうしたことを言おうとしたようです。私は手紙を書き終え--そしてそのとき神が私を叱責なさいました。・・・・・・まだ間に合うときに、神の恵みが私を思いとどまらせたのです。私は手紙を破き捨てました。蒔こうとしなけ
れば、刈り取ることも決してありません。


7月13日*****************************

<font color=blue><b>私たちは神の作品であって、良い行いをするために、
キリスト・イエス にあって造られたのです。
神は、私たちがよい行いに歩むように、
その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。
           エペソ 2.10</font></b>

・・・・・・・私たちは教会の目標を楽しみに待とうとはしません。後ろばかり見ているのです。神はこの世界が造られる前に、キリストにあって御自身の目的を達成されました。・・・・・・・神の御心によって神のものとされた全ての者は、栄光が与えられているのです。キリストにおいて目標は達成されました。教会は既に栄光を受けているのです。


7月14日*****************************

<font color=blue><b>「あなたは、生ける神の御子キリストです」
           マタイ16.16</font></b>

・・・・・・・突然、今まで予想もしていなかったような状況に見舞われると、あろう事か、明らかに信仰は役に立たず、祈りも役に立たず、私たちの霊は萎縮してしまいます--それこそ私たちがキリストに宣言することを修得するときなのです。そうすることで、神が待ち続けておられたものが何であるかを発見するのです。「あなたは主です。あなたは勝利者です。あなたは王です」。<font color=red>あらゆる祈りの中で最良の祈りとは「どうかお願いします」ではなく「あなたは」という祈りなのです</font>。私たちに与えられた啓示によって、私たちは口にしましょう。祈り会において、主の聖餐において、主の御前に一人出るときに、この世のまっただ中で、あるいは窮乏の暗闇の時に、「あなたは」と宣言することを修得するのです。


7月15日*****************************

・・・・・・・・(創世記14章は)アブラムはヘブル人であり、「寄留者」であり巡礼者であることを我々に想起させます。敵に対して本当の力を持っている人々とは、甘んじて旅人であり続ける者たちなのです。
・・・・・・・私たちもまた・・・・・まず心の戦いで勝利しなければならないのです。その人は私の兄弟でしょうか。そうでしたら<font color=red>彼がどんなに間違っていて、私を傷つけようとも、主のゆえに私は彼を愛するべきであり、彼のために祈るべきであり、彼を助けるために私は総力を結集するべきなのです。

コメント    この記事についてブログを書く
« ショック!__小堺一機のこと | トップ | 夏のご予定は? »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記(旧サイト~移行分:未分類)」カテゴリの最新記事