風のいろは 何いろ?

手を休めずに種をまきなさい。
どの種が芽を出すか、わからないからです。
(リビングバイブル:伝道者の書 11-6)

昨日と今朝の 「荒野の食卓」から。。。

2004-03-25 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
「荒野の食卓」、リンクのの下の方にURLがあります。
(↓ ML広場から コピーしました)

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

★3月24日

<font color=deeppink>途方にくれていますが、行きづまることはありません。</font><font color=green>
II コリント 4.8</font>

<font size=2> 私が回心した日から、私の心からの望みは真のキリスト者になることでした。
もちろん私にはクリスチャンはかくあるべしという自分の考えがありました。
そしてそのようなキリスト者になろうと全力を尽くしたのです。
私が考えていた真のキリスト者とは、なんと、朝から晩までにこやかな顔をして
いなければなりませんでした。涙を流しただけで、その人はもう勝利から
転落したのです。加えてキリスト者たる者、常に勇敢でなければなりません。
わずかな恐れの兆候も、主への信頼が致命的に足りなかったことを表わして
いるのです。つまりその人は私の基準にはるかに及ばなかったことになります。
</font>
しかしやがて私は学びました。キリスト者の生活はまったく
違うものでした。それは、弱さの中の力、苦しみのさ中の喜び、
疑いと隣り合った信仰による勝利、といった矛盾に満ちたものなのです。
主にあってキリスト者がもっとも強められているとき、彼はしばしば
自分の能力のなさを意識しています。キリスト者がもっとも勇敢なとき、
彼は内に恐れを深く抱いているかも知れません。そして彼が喜びの絶頂に
あるとき、再び不安が彼をあっけなく沈めてしまうかも知れません。
彼を高きに引き上げるのは「この測り知れない力」あるのみです。


>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

★3月25日

  <font color=deeppink>隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうす
れば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなた
に報いてくださいます。</font>  <font color=green>マタイ 6.6</font>

<font size=2> 自分たちの働きに注意を引こうと工夫する必要はありません。
神の至高の摂理の中で、やすやすと神が責任を引き受けてくださいます。
私たちは生活上のことで神に信頼しています。しかし人に教える何かが
あるのでしょうか。<font color=blue>神の僕たちが、自分は信仰によって生活していると
強調するのを聞くと、私は不快になります。</font>私たちは本当に
神の法則を信じ、神の摂理を信じているのでしょうか。もし信じているなら、
主が私たちの必要をその聖徒たちに間違いなく示してくださることを
信じられるでしょう。そして<font color=red>私たちが彼らにはっきりとした意志表示を
しないでも、それらが備えられるように神がはからってくださることをも
信頼できるでしょう</font>。たとい、私たちの生活様式から私たちには隠れた
収入があると人々が結論し、その結果彼らが援助を渋ったとしても、
気にすることはありません。私は自分たちの個人的な必要ばかりか、
神への信仰についても黙っているようにと私よりも若い兄弟に忠告した
ものでした。そうすればよりよく神を立証することができるでしょうから。
<font color=red>信仰があればあるほど、それについての発言は少なくなるものです</font>。



---------------------------------------
↑ 最後の言葉、耳に痛い!
でもすべてのことを 主が益にしてくださいますように…アーメン。
コメント    この記事についてブログを書く
« 時差ボケより・・・ | トップ | ちょっくら・・ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記(旧サイト~移行分:未分類)」カテゴリの最新記事