1月21日に ML「広場」に配信された文章です。
(テープから起こされたもの)
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「私は悩む者、貧しい者です。」 染野兄
2010年1月1日 吉祥寺元旦礼拝 司会
40:17 私は悩む者、貧しい者です。
主よ。私を顧みてください。
あなたは私の助け、私を助け出す方。
わが神よ。遅れないでください。
最初に集会からのお知らせを致します。
・・・・・・・・・・・・・・・・
秋の初めには、新しい会堂が出来るということです。(吉祥寺集会)
40数年前、ベックご兄姉ご一家が、この家に移り住みました。
・・・・・・・・・・雨漏りが数箇所あり、一番下のスーシー姉は
まだ乳飲み子であったと聞いております。
そのようなベック兄、ミュンヘン姉ご兄姉が、この吉祥寺の地で
福音の種を播かれてから40年の年月がたちましたけれども、
やっと新しい会堂が出来ると言うことであります。
ベック兄姉たちが入られる前のこの地は
福音の種がなかなか育たない地であったようであります。
古い兄などはよくご存知だと思いますけれども、
何人も宣教師が入りましたけれども
結局、福音はここでは育ちませんでした。
しかし、私たちの知っている通り、ベックご兄姉のお働きによって
この群れは大いに祝福されました。
ベック兄の洗礼を受けた方だけでも何千人、
信仰告白をした人はおそらくその数倍の数ではないかと思っております。主の祝福が豊かにこの群れにあったという証しであります。
クリスマスにベック兄から一通のハガキをいただきました。
クリスマスカードであります。
そこには、次のようなみことばが書かれてありました。
詩篇 40編17節
私は悩む者、貧しい者です。
主よ。 私を顧みてください。
あなたは私の助け、私を助け出す方。
わが神よ。遅れないでください。
「私は悩む者、貧しい者です。主よ。私の助けてください。」
というダ
ビデの祈りの詩篇です。
クリスマスカードとしては、あまり馴染みのない
みことばではないでしょうか。
私はこのみことばを頂いて、昨年の暮れから
今年に至るまでず~っと考え続けました。
ベック兄はどうしてこのようなみことばを選ばれたのだろうか?
ある意味では私にとっては衝撃的なみことばであります。
先ほど話しましたように、ベック兄姉のお働きは
主によって大いに祝福
されております。
毎週週末は、日本全国に限らず、ドイツで、カナダで
集会がもたれるようになりました。
おそらく日本全国、どの都道府県でも
礼拝が持たれているのではないかと思います。
そのような祝福の中にあってなお
「私は悩む者、貧しい者です。」と主なる神の前に
どこまでも小さくなってご自分を捨て、徹底した自己否定をして
尚且つ主の恵みを請い願う、、、
これがベック兄の信仰のお姿ではないかと思いました。
言い換えれば、主の祝福を受ける唯一の信じる者たちの条件ではないか
と思います。
・・・・・・・・・・・・・・・
繰り返しますが、 「どうしたら主の祝福を受けられるか」
そのためには 「私は悩む者、貧しい者です。
主よ。私を助けてください。」 という祈りが
どうしても必要であると新年に至って思わされました。
詩篇40
40:1 私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は、私のほうに身を傾け、私の叫び
をお聞きになり、
40:2 私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌
の上に置き、私の歩みを確かにされた。
40:3 主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。多くの者
は見、そして恐れ、主に信頼しよう。
40:4 幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向か
なかった、その人は。
40:5 わが神、主よ。あなたがなさった奇しいわざと、私たちへの御計りは、数
も知れず、あなたに並ぶ者はありません。私が告げても、また語っても、それは
多くて述べ尽くせません。
40:6 あなたは、いけにえや穀物のささげ物をお喜びにはなりませんでした。あ
なたは私の耳を開いてくださいました。あなたは、全焼のいけにえも、罪のため
のいけにえも、お求めになりませんでした。
40:7 そのとき私は申しました。「今、私はここに来ております。巻き物の書に
私のことが書いてあります。
40:8 わが神。私はみこころを行なうことを喜びとします。あなたのおしえは私
の心のうちにあります。」
40:9 私は大きな会衆の中で、義の良い知らせを告げました。ご覧ください。私
は私のくちびるを押えません。主よ。あなたはご存じです。
40:10 私は、あなたの義を心の中に隠しませんでした。あなたの真実とあなた
の救いを告げました。私は、あなたの恵みとあなたのまことを大いなる会衆に隠
しませんでした。
40:11 あなたは、主よ。私にあわれみを惜しまないでください。あなたの恵み
と、あなたのまことが、絶えず私を見守るようにしてください。
40:12 数えきれないほどのわざわいが私を取り囲み、私の咎が私に追いついた
ので、私は見ることさえできません。それは私の髪の毛よりも多く、私の心も私
を見捨てました。
40:13 主よ。どうかみこころによって私を救い出してください。主よ。急いで、
私を助けてください。
40:14 私のいのちを求め、滅ぼそうとする者どもが、みな恥を見、はずかしめ
を受けますように。私のわざわいを喜ぶ者どもが退き、卑しめられますように。
40:15 私を「あはは。」とあざ笑う者どもが、おのれの恥のために、色を失い
ますように。
40:16 あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。
あなたの救いを愛する人たちが、「主をあがめよう。」と、いつも言いますよう
に。
40:17 私は悩む者、貧しい者です。主よ。私を顧みてください。あなたは私の
助け、私を助け出す方。わが神よ。遅れないでください。
おわり
(テープから起こされたもの)
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「私は悩む者、貧しい者です。」 染野兄
2010年1月1日 吉祥寺元旦礼拝 司会
40:17 私は悩む者、貧しい者です。
主よ。私を顧みてください。
あなたは私の助け、私を助け出す方。
わが神よ。遅れないでください。
最初に集会からのお知らせを致します。
・・・・・・・・・・・・・・・・
秋の初めには、新しい会堂が出来るということです。(吉祥寺集会)
40数年前、ベックご兄姉ご一家が、この家に移り住みました。
・・・・・・・・・・雨漏りが数箇所あり、一番下のスーシー姉は
まだ乳飲み子であったと聞いております。
そのようなベック兄、ミュンヘン姉ご兄姉が、この吉祥寺の地で
福音の種を播かれてから40年の年月がたちましたけれども、
やっと新しい会堂が出来ると言うことであります。
ベック兄姉たちが入られる前のこの地は
福音の種がなかなか育たない地であったようであります。
古い兄などはよくご存知だと思いますけれども、
何人も宣教師が入りましたけれども
結局、福音はここでは育ちませんでした。
しかし、私たちの知っている通り、ベックご兄姉のお働きによって
この群れは大いに祝福されました。
ベック兄の洗礼を受けた方だけでも何千人、
信仰告白をした人はおそらくその数倍の数ではないかと思っております。主の祝福が豊かにこの群れにあったという証しであります。
クリスマスにベック兄から一通のハガキをいただきました。
クリスマスカードであります。
そこには、次のようなみことばが書かれてありました。
詩篇 40編17節
私は悩む者、貧しい者です。
主よ。 私を顧みてください。
あなたは私の助け、私を助け出す方。
わが神よ。遅れないでください。
「私は悩む者、貧しい者です。主よ。私の助けてください。」
というダ
ビデの祈りの詩篇です。
クリスマスカードとしては、あまり馴染みのない
みことばではないでしょうか。
私はこのみことばを頂いて、昨年の暮れから
今年に至るまでず~っと考え続けました。
ベック兄はどうしてこのようなみことばを選ばれたのだろうか?
ある意味では私にとっては衝撃的なみことばであります。
先ほど話しましたように、ベック兄姉のお働きは
主によって大いに祝福
されております。
毎週週末は、日本全国に限らず、ドイツで、カナダで
集会がもたれるようになりました。
おそらく日本全国、どの都道府県でも
礼拝が持たれているのではないかと思います。
そのような祝福の中にあってなお
「私は悩む者、貧しい者です。」と主なる神の前に
どこまでも小さくなってご自分を捨て、徹底した自己否定をして
尚且つ主の恵みを請い願う、、、
これがベック兄の信仰のお姿ではないかと思いました。
言い換えれば、主の祝福を受ける唯一の信じる者たちの条件ではないか
と思います。
・・・・・・・・・・・・・・・
繰り返しますが、 「どうしたら主の祝福を受けられるか」
そのためには 「私は悩む者、貧しい者です。
主よ。私を助けてください。」 という祈りが
どうしても必要であると新年に至って思わされました。
詩篇40
40:1 私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は、私のほうに身を傾け、私の叫び
をお聞きになり、
40:2 私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌
の上に置き、私の歩みを確かにされた。
40:3 主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。多くの者
は見、そして恐れ、主に信頼しよう。
40:4 幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向か
なかった、その人は。
40:5 わが神、主よ。あなたがなさった奇しいわざと、私たちへの御計りは、数
も知れず、あなたに並ぶ者はありません。私が告げても、また語っても、それは
多くて述べ尽くせません。
40:6 あなたは、いけにえや穀物のささげ物をお喜びにはなりませんでした。あ
なたは私の耳を開いてくださいました。あなたは、全焼のいけにえも、罪のため
のいけにえも、お求めになりませんでした。
40:7 そのとき私は申しました。「今、私はここに来ております。巻き物の書に
私のことが書いてあります。
40:8 わが神。私はみこころを行なうことを喜びとします。あなたのおしえは私
の心のうちにあります。」
40:9 私は大きな会衆の中で、義の良い知らせを告げました。ご覧ください。私
は私のくちびるを押えません。主よ。あなたはご存じです。
40:10 私は、あなたの義を心の中に隠しませんでした。あなたの真実とあなた
の救いを告げました。私は、あなたの恵みとあなたのまことを大いなる会衆に隠
しませんでした。
40:11 あなたは、主よ。私にあわれみを惜しまないでください。あなたの恵み
と、あなたのまことが、絶えず私を見守るようにしてください。
40:12 数えきれないほどのわざわいが私を取り囲み、私の咎が私に追いついた
ので、私は見ることさえできません。それは私の髪の毛よりも多く、私の心も私
を見捨てました。
40:13 主よ。どうかみこころによって私を救い出してください。主よ。急いで、
私を助けてください。
40:14 私のいのちを求め、滅ぼそうとする者どもが、みな恥を見、はずかしめ
を受けますように。私のわざわいを喜ぶ者どもが退き、卑しめられますように。
40:15 私を「あはは。」とあざ笑う者どもが、おのれの恥のために、色を失い
ますように。
40:16 あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。
あなたの救いを愛する人たちが、「主をあがめよう。」と、いつも言いますよう
に。
40:17 私は悩む者、貧しい者です。主よ。私を顧みてください。あなたは私の
助け、私を助け出す方。わが神よ。遅れないでください。
おわり
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