風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

【4】 ベック兄 2006.7.16   (抜粋)

2006-07-19 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
大きな町であるニネベはわざわいでした。主はヨナを立たせて、その町に向かうことを望んだのです。主の怒りが、主のさばきが近づいている。ヨナはそのことを計画し、説教するように急ぐべきでした。主はニネベを戒めたく思われ、また注意することをも望んでおられました。主は大きな町であるニネベに対して、あわれみを持っておられたのです。

そのときヨナの態度はどうだったでしょうか。近づいて来る神の怒りと滅びゆくニネベの町に対してヨナは全く無関心でした。主はヨナに「行け。」と命令なさったとき、彼は「はい。行きます。」と答えようとしなかったのです。

彼のはっきりとした態度は、主よ。嫌です。行きたくない。イスラエルの民のためだったら何でもやる。けれど異邦人のためだったら嫌です。

主はご自分のしもべを用いたく思われたけれど、そのしもべはそのことが嫌でした。好まなかったのです。「嫌です。」これこそが神のしもべであるヨナの態度でした。その叫びと招きはわれわれにも向けられています。


                ≪略≫



カインは主の前から去って行きました。悪魔は主の前から出て行った。神のしもべであるヨナも同じことをしてしまったのです。彼は、タルシシュ行きの船を見つけた。それはヨナにとって、願ったり叶ったりでした。これは主の導きではないでしょうか。主はヨナの逃避を本当に好都合にしておられるのでしょうか。主はご自分のしもべの不従順に対してそれでいいと仰るのでしょうか。

彼は、タルシシュ行きの船を見つけ、ただではありませんでした。船賃を払った。書いてあります。この船賃はもちろん高いものだったに違いない。タルシシュまでの距離はニネベまでの距離よりも三倍も遠くでしたから。だから船賃もニネベに行くよりは三倍も高かったに違いない。
このように主の顔を避けると、多くの費用を費やさなければならない。この高い費用を払うということは、決して金銭的な意味だけでなく、安らぎ、平安、喜びなど多くのものをも犠牲にしなければならないほどです。主の顔を避けるときには、多くの費用を払わなければならないことに注意しなければならない。


              ≪略≫


ヨナは主の御顔を避けて、タルシシュへのがれようとして、立って、ヨッパに下った。と書いてあります。

ヨナ書1章に戻りまして、ここでヨナは船底に降りて行った。とあります。ヨナはヨッパに下り、船底に降りて行った。それゆえ、ヨナがいつも下へ、下へと向かっていることがわかります。われわれの心の奥底をもっとも揺り動かすものはいったい何なのでしょうか。切に主を第一とし、主にだけ従って行く心構えの出来ていない者は、たちどころに主から引き離され、下へ、下へと落ちて行くのです。
4節。
・そのとき、主が大風を海に吹きつけたので、
 海に激しい暴風が起こり、船は難破しそうになった。
・水夫たちは恐れ、彼らはそれぞれ、自分の神に向かって叫び、
 船を軽くしようと船の積荷を海に投げ捨てた。
とあります。


              ≪略≫



あの見知らぬ者はいったいどこにいるのか。と彼らはヨナを捜しました。そのときヨナは船底で横になって、ぐっすり寝込んでいました。神のしもべで、預言者であるヨナはぐっすり寝込んでいたのです。ヨナは使命をもっていたにも関わらず、寝込んでしまいました。多くの人々が危険な状態にあるときにも、神のしもべは眠った。上では台風が荒れ狂っているときに、ヨナは船底でぐっすり寝込んでいました。それから6節です。

・船長が近づいて来て言った。
「いったいどうしたことか。寝込んだりして。
  起きて、あなたの神にお願いしなさい。
  あるいは、神が私たちに心を留めてくださって、
  私たちは滅びないですむかもしれない。」
 
ヨナは気が付かず、何にも知らなかったのです。眠っている者は、聞くことが出来ません。眠っている者は、見ることも出来ません。眠っている者は、知りたいと思いません。

ヨナは主の御声を聞こうとはしなかったのです。また、悩み苦しんでいる人々に目を留めようともしなかったのです。なぜなら、彼は主の御顔を避けて、逃げたからです。



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