母の葬儀にも来てくれていた 従兄弟が亡くなったと
連絡が入りました。
母は 8人兄弟の末っ子、父は5人兄弟でしたから
私には たくさんの従兄姉がいますが
そんなにたくさんいる中で 同い年の人は たった一人でした。
ただ、親しく話したり、会うこともほとんどない人でした。
あまりに疎遠だったので、行く必要あるのかなと思っていたのですが
いとこたちの取り纏め役みたいな 従兄が
「ばあちゃん時 来てくれてるんだろう?」と。
たまたま お通夜の日もお葬儀の日も休みをとっていたのですが
お出かけか 片付けかしたいと思っていたのですが。。。
しかし、実際お通夜・葬儀に参列し、参列して良かったと思いました。
疎遠すぎて 詳しいことを知らなかった彼の
おおよその生き様や性格や苦労や・・・人生を
かいま知ることができたからです。
どんな人の人生にも 喜び、苦しみ、、、、
悲喜こもごもあるものです。。。
もし 今回参列することがなかったら
私は彼のことを 何も知らないでずっといたわけです。
たぶん口をきいた事もない Kさんですが
彼の人生が ずっしりと 私の心に響いてきた2日間でした。
参列を勧めてくれた従兄に感謝。
また、クリスチャンであるために またまた色々
皆さんと別の行動をとらざるを得ない 居心地の悪さを
感じる中で、理解してくださる たくさんの方々の暖かさも知りました。
(別行動とは 線香をあげない、焼香しない などなど。)
私の父母の遺骨が納められた墓地を管理してくださってるお寺は
曹洞宗 なのですが
今回と4月のオバの時は 真言宗 のお寺さんでした。
曹洞宗と真言宗では 随分印象が違うやりかたをされてました。
Kさんのお子さんは 20代半ば~後半の息子さんと娘さんでした。
驚いたのは お母様で。(亡くなったおじが 婿に入ったのです)
97歳になられるそうですが、杖をついてゆっくり歩かれ
また 耳も遠いですけど 全く認知症もないし
穏やかで 昔の話もよく覚えておられました。
私の母のことも、〇〇に嫁いだ・・・」まで言うと
「ああ▲▲(母の名)ちゃんの?」と。
「そうそう ▲▲の娘です」
Kさんのお姉さんは二人いらっしゃいますが
お1人は 家に来たこともあって 遠い記憶がよみがえります。
私は小学生だったと思われ、彼女は二十歳くらいで
着物を着て うちの古い建物の古い部屋に座っている情景。
ご挨拶すると 私の名前を憶えてくださってました。
―――ーという 濃い2日間でした。
信仰が違っても 人の最後には 立ち会うべきかもと感じました。
連絡が入りました。
母は 8人兄弟の末っ子、父は5人兄弟でしたから
私には たくさんの従兄姉がいますが
そんなにたくさんいる中で 同い年の人は たった一人でした。
ただ、親しく話したり、会うこともほとんどない人でした。
あまりに疎遠だったので、行く必要あるのかなと思っていたのですが
いとこたちの取り纏め役みたいな 従兄が
「ばあちゃん時 来てくれてるんだろう?」と。
たまたま お通夜の日もお葬儀の日も休みをとっていたのですが
お出かけか 片付けかしたいと思っていたのですが。。。
しかし、実際お通夜・葬儀に参列し、参列して良かったと思いました。
疎遠すぎて 詳しいことを知らなかった彼の
おおよその生き様や性格や苦労や・・・人生を
かいま知ることができたからです。
どんな人の人生にも 喜び、苦しみ、、、、
悲喜こもごもあるものです。。。
もし 今回参列することがなかったら
私は彼のことを 何も知らないでずっといたわけです。
たぶん口をきいた事もない Kさんですが
彼の人生が ずっしりと 私の心に響いてきた2日間でした。
参列を勧めてくれた従兄に感謝。
また、クリスチャンであるために またまた色々
皆さんと別の行動をとらざるを得ない 居心地の悪さを
感じる中で、理解してくださる たくさんの方々の暖かさも知りました。
(別行動とは 線香をあげない、焼香しない などなど。)
私の父母の遺骨が納められた墓地を管理してくださってるお寺は
曹洞宗 なのですが
今回と4月のオバの時は 真言宗 のお寺さんでした。
曹洞宗と真言宗では 随分印象が違うやりかたをされてました。
Kさんのお子さんは 20代半ば~後半の息子さんと娘さんでした。
驚いたのは お母様で。(亡くなったおじが 婿に入ったのです)
97歳になられるそうですが、杖をついてゆっくり歩かれ
また 耳も遠いですけど 全く認知症もないし
穏やかで 昔の話もよく覚えておられました。
私の母のことも、〇〇に嫁いだ・・・」まで言うと
「ああ▲▲(母の名)ちゃんの?」と。
「そうそう ▲▲の娘です」
Kさんのお姉さんは二人いらっしゃいますが
お1人は 家に来たこともあって 遠い記憶がよみがえります。
私は小学生だったと思われ、彼女は二十歳くらいで
着物を着て うちの古い建物の古い部屋に座っている情景。
ご挨拶すると 私の名前を憶えてくださってました。
―――ーという 濃い2日間でした。
信仰が違っても 人の最後には 立ち会うべきかもと感じました。
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