Suezaの随想録〜徒然なる一言日記2〜

Suezaの瑞希とゆう希のブログです。日常生活、くっだらないこと、CDやLiveについて宣います!

「考える」ことの大切さって?

2019-04-05 12:12:44 | 日記

 瑞希です。

 最近よく思うことなのですが、今の人って大人も若い人もあんまりものを「深く」考えることがなくなったのかな?って思います。ちょっと考えればあたりまえのことなのになんでそんなことするのかな? ということが多いような気がします。

 例えばお年寄りを狙った「オレオレ詐欺」とかについていえば、だまされる方ではなくだますほうが、以前は口八丁手八丁であれやこれや考えてなかなか足がつかないようなやり方でやっていました。例えば相手に銀行に行って振り込ませるとか、宅急便で送らせるとか・・・。まぁそういう方法が通用しなくなったのはわかるんですが、そのあとは直接カードを取りにいったり、下手すると家に乗り込んで凶行におよんでしまうような痛ましいことが最近よくあります。相手を傷つけたり、死なせてしまったらそれだけで非常に重い罪を背負ってしまうことになるのは誰でもわかることです。なのにそうしてしまう。多分やった当初はバレないと思うんでしょうね~。でも日本の警察は甘くないし、昨今のITやDNA鑑定(本当にあたるかどうかは疑問なんだけど・・・)等のハイテクを駆使されたら、以前よりも簡単に足がついてしまうのは自明の理とは思うんですけどね。

 政治的にも最近の大国の長さまはみんな思考が短絡的ではないでしょうか? 「ビジネスライク」という人もいますが、要は自分の利益を優先して、そういう方向に導こうとするものです。長期にわたる歴史的紛争には理由があり、いつかは解決しなければならないのは確かなのですが、一言二言で片づけてしまい、その後にどれだけの犠牲が強いられるかを本当に検証しているのかはわかりません。一応一国の「長」なのですから考えているにはいるのでしょうが、どうも偏りすぎていて仕方ないように見えます。で、文句を言えば排除したり、粛清したりと、自分に対する「Yes Man!」しか考えていないような気がします。

 まあ、こんなことは誰にでもいることなんでしょうけどね・・・。でもなんでそうなったんだろうと考えると奥は深いかもしれません。

 多分理由の一つとしては、あんまり記憶をする必要がなくなったことではないでしょうか? 考えるためにはデータが必要です。データを十分蓄積していればそれを複合的に絡めることにより「深い」考え方ができるのです。ところが最近のITの発達により「記憶」をする必要がなくなったのです。PCとかタブレットを見れば、そこにデータはあるのです。見ればすぐわかるのです。ただ、あくまでそこにあるデータは1枚の紙と一緒で、読むこと=データを呼び出すことだけなのです。データとデータを結び付けて、それを元に「分析する」ということを人はしなくなったような気がします。つまり複数のデータを結び付けてそこから有効な手段がでれば、それなりに「深い」考えができるのですが、ただ1枚の紙にあるようなデータを見ただけで判断すれば、周りが見えずに短絡的な思考でとどまってしまうと思うのです。

 つまりITの発達が人の思考を短絡化させているのではないか? 少なくとも理由のひとつはそれではないか? と思うのです。

 最近はITがさらに発展し、この「考える」ということまでAIでやってしまうような方向に進んでいます。このままだと、人間としての大事な「考える」という機能さえとられてしまい、将来的には深く考えることができない「動物」みたいな存在に人間が退化してしまうかもしれません。

 まさにITによって飼育され、家畜化されるというのが、人間の未来の姿なのかもしれません。それでよいのでしょうか?