愛の定義が厳しくて
100%じゃなきゃ愛じゃないって思っていた。
だから、ネガティブな感情を相手から読み取ってしまうと
私のこと愛してないのね
って一人で冷めて信用しなくなる
旦那さんはダンナだけに
私が拗ねると
言葉や態度で私が受け取れるまで
欲しい言葉をくれる。
そんなことないよって。
私にひどいことを言った
ひどいことをした
イライラをぶつけた
八つ当たりをした
苦しい思いを共有させようとした
悲しみを共有させようとした
怒鳴った
こわい顔をした
手をあげた
言葉でなじった
態度でなじった
無視した
忘れられた
放っておかれた
気づいてくれなかった
なかったことにした
その、どれか一つでもネガティブをぶつけられたら、
愛の純度は下がって、
何度も何度も続けば、
100あったって0になる。
だから私は親を信じられない愛を信じられない
だから私は人を信じられない愛を信じられない
愛は減るもの。純度はへるもの。100じゃなきゃ本当じゃないよ信じられないよ。
99じゃあ信じられないよ。99じゃあ0と変わんないよ。
100じゃなきゃだめでしょ?100じゃなきゃ本当じゃないよね?
私のこと大事じゃないんだよね?そうなんでしょ?!
って
思っていた。
初めて言語化してみた。
私は愛に厳しい。
ちがうね。
私は愛を誤解していた。
愛は減らない。いつだって純度100だ。
って知らなかった。
赤ちゃんが泣く。
うるさい。泣き止め。放置したろか。って思う日だってあるけど。
この子は必ず私が守る。
うまくお世話できなくてもしなくても、
もしも愛を疑われたら悲しい。
愛しているから。
て
ことか。
「愛してたって文句は言っちゃうんだなぁ」
「愛してたって嫌いなトコはあるんだなぁ」
「愛してたってひどいことしちゃんだなぁ」
「私だってできないもん」
それでいいのか。。。
「どうせ愛されてるし」って
こういうこと
お金を回せば回ってくる。の
ぢんさん
でも実際お金は使えば減るし、使い続けてていいのかな?いいのかな??って罪悪感と闘っていたけれど。
実際戻ってきているし、大切なことがわかりました。
自分にとって正解の使い方をすると、と~~~~~っても心が満たされて、と~~~~~っても嬉しいんです。やった!手に入った!!って。嬉しくて踊りだす
そうじゃない時は、罪悪感だけが増幅していきます(笑)。そんでなんか結局、それを手放すことになっていたり・・・。
それで分かるんです。
本当に「欲しかったもの」と「損得・お金基準で選んだだけのもの」が。
私は子どものころ、親を困らせまいと、欲しいものを言わない、欲しいものはない、子でした。
だから自分のこれが好き、欲しい、という気持ちに耳を傾けるのが、相当ヘタな人間になってしまったようです。
そしてお家の中が自分の好きじゃないものばかりで溢れていることに愕然とする
ぢんさんの講演会で配られていたストラップ。私に渡された言葉は
「損してもいい」(なんかこれが来る気がしていたのよ)
きっとそんな私に必要な、魔法のことば