今日更新多いなー。はて。
コア服スタイリングをお仕事として始めた2014年3月1日から、一年と9ヶ月ほど経ちました。
初めて人にスタイリングをしたのは、2011年12月のことでした。少し、軌跡を追っていこうかなと思います。年末だしね?
2011年12月、栃木にて
しのやんと遊んでいた時に、何気なく「ふぅちゃんいつもオシャレだから、洋服を見立ててくれない?」という言葉がキッカケで
(一言一句覚えている私って(笑)。魂的にはキタ――(゜∀゜)――!!だったのでしょうな)
ショッピングビルに入って、このお店いこう☆はい、これとこれとこれ着てね
試着している間に、じゃ次これとこれとこれね
ふぅスタイリングは千本ノック(byモチコせんせー)のように、時には説明すらせず、ひたすらに試着しまくってもらうんですが
この、人生初のスタイリングから、そうでしたね。
何の躊躇もなく、これ着せたらぜったい可愛いぞー
わくわく
だけでやってました。真剣に遊んでました。
アルパカせんせーがXmasマルシェの時にふぅちゃん天才
って言ってくれてたけど…
ごめんなさい、私、天才みたいです。
人のファッション見て「こっちのが似合うのに」とか考えるのは、小学生くらいから。
わたしヒストリーは小学生まで遡る必要がありますね。
その頃、私が着ていた服は、母が選んだもの、それも親戚からのお下がりがほとんどで、服を買ってもらった記憶も、ほとんどありません。
小学校低学年
母は女の子が生まれたことが嬉しくて(兄と二人兄妹です)、いつもフリフリのブラウスとかリボンがついたものとかを私に着せていました。毎日が発表会。隣のクラスの男子に「オシャレばばあ」といつもからかわれて、「オシャレ」という言葉がトラウマに。オシャレが褒め言葉だと知ったのはもう少し大きくなってからでした。
小学校高学年
習っていたスイミングを辞めてから、日に日にぷくぷくになっていく自分が恥ずかしかった。お下がりは相変わらず。自分で服を選ぶようになってきたころ。親戚の借金の肩代わりをすることになり、誕生日とクリスマスというイベントが我が家から消える。当然、普段の服を買ってもらうこともほとんどない。
中学校~高校
お下がりの服を着る日々は続く。おさがりの出どころが東京に住むいとこのものだったりして、さりげなくオシャレなデザイン(but流行が過ぎたもの)だったりして、さりげなく気に入って着ていたりした。
お祭りの時や友達と遊びに行くとき、当然自分で選んだ服を着ます。当時の友達からはよく言われていました。「ふみこのファッションセンスやばい」。やばい。ひどい。ださい。の意です。自分のファッションセンスには、一ミリも自信なんてなかった。高校の頃から、seventeen愛読者になる。
短大
初めて実家を離れ、寮生活に。ワードローブはお下がりとしまむら服(しまむらさん大好きですよん。でも当時はオシャレなものを選ぶ目がなかったのよん)。丈の長いズボンは、母が裾直しテープみたいなの貼って直してくれたやつを履いてた。non-no、cancam愛読者に。
旦那さんと出逢う
丸ごと受け入れてもらえる喜びを知り、女性としての自信をもてるようになり、服も自信を持って選ぶようになり、このころから、可愛い、綺麗、オシャレ、って言われるようになってきた。
社会人時代
自分のお給料で好きなものを好きなだけ買える喜びを知る。少しづつ少しづつ、fashionに対してのタガが外れていく。ピーク時は、ファッション雑誌月8冊、お給料の半分以上を洋服代にかけてた。楽しくて仕方なかった。
24歳、蝶々さんの「ひらきかた」に出逢う
ある時、写真に写った自分を見て、「あれ?私の服はこれじゃない」とはっきり違和感を覚えた。
当時は、cancam系の王道モテ服とか、リズリサのぶりぶりなやつとか、可愛い系を好んで着ていた。似合うと思ってたし。でも、ほんとうの私に似合う服は違う。初めて、じぶんにほんとうに似合う服を選んで買ったのは、25歳の時。
2011年夏、蝶シスとの交流が始まる
蝶シス=蝶々さんのファンのこと。
蝶シスちゃんの交流イベントに参加するために選んだ、紫の薔薇のワンピース(ANAP)。
私にほんとうに似合うのはこれ、って。直観では言ってるけど、とってもドキドキびくびくした。笑われないかな?って。でも、自分を信じてみた。そうしたら、色んな人に褒めてもらえた。ここから、自分のありのままをちゃんと見るようになって、似合う服を選ぶようになった。それでもまだ、自信はなかった。
そして、2011年冬、しのみんに人生初スタイリングをする
私のスタイリングに喜んでくれたしのちゃんが、色んな人に口コミしてくれたり、遊ぶたびにスタイリングさせてくれたりして、そのうちスタイリングをして欲しいっていう人も出てきて、色んな人にスタイリングする機会を与えてもらいました
fashionに対する自信も、一緒に育ててもらいました
2013年冬、
まいまいにスタイリングをする
ここ大事ね。まいまいちゃん、私のスタイリングを受けて、「仕事にできるよ!」と言ってくれたのでした。最初は、いやいや、遊びでやってて楽しいから~とか流していたのですが…。当時、私は「自分で仕事」がしたくて。つまり、お勤めはもうアガりたい。自分の責任で仕事がしたい!というのは割と社会人になってからずっとあった願いでした。
でも、、、と色んなことを考えました。
アパレル経験ないし(某有名shopにアルバイトとして採用された時も、3日で辞めた
)
知識とかないし
仕事としてやったら苦しくなりそう…
スタイリングを仕事としてやりたいという発想がなかった
それで、いろんな人の考えを聞きました。
え~~~っと結論から言うと、だれ一人反対する人はいなくってむしろ応援してくれて。
何より旦那さんは最初から、「やってみれば」って言っててくれてですね。
うん、やってみるか
で、現在に至ります。
しのみんとまいまいがいなかったら、コア服スタイリストの私はいません。
出逢いと縁に感謝です
すごいことだな~
でも伏線はかなり前から張られていましたね。
思うに、お下がりを着ていた長い間、私は新しい服が欲しい!カワイイ服が欲しい!って言えなくて、その願いすら忘れちゃったんですね。でもそれが、私のきょう~~りょくなバネとなりました
オタクのようにfashion知識を雑誌から詰め込む日々~狂ったように洋服ばっかり買いまくってた日々~やっとほんとうに似合うfashionにたどり着けて~人に還元できるようになったら~天職が降ってきた
スタイリングについて、何の勉強も知識も経験もねーです。こういうの叩き上げっていう?
全てのお客様が練習で本番でした。
これからもそう。
今までは、知識はむしろ直感の邪魔をする気がしていて取り入れないようにしてきました。
でもそれは、自分という土台が不安定なのを知っていたからだと気づきました。
母となり、子どもを育てる過程で、自分も少しづつではありますが、しっかりしてきたように思います。
だからこれからは、知識を入れれば入れただけ、還元できる気がしています。これから、しっかりと勉強ってやつをやっていこうかな
何より私が楽しいからね
縁が縁を呼び、仕事が仕事を呼ぶ~という循環ができつつあります。
floracionとかね
ありがたいことです
私は天才です。
あなたのコアを聴き、fashionで伝える能力を授けられました。
誰にも教わっていません。知識もありません。でも、コア服スタイリストとしてお仕事をしています。
あなたは天才です。
天才じゃない人は一人もいないでしょう。
あなたは自分の才能に気づいていますか?
才能を解放すれば、人を幸せにできて、お金がやってきます。
あなたは、ほんとうの自分を生きていますか?