昨日は、アーユルヴェーダとeros部打ち合わせ♪の予定でした(´;ω;`)
よーし準備万端(^^♪
で出発したはいいけど、だるさMAXでね、しばらく車を走らせ・・
よし
お家帰ろう
大好きなアーユルヴェーダ
、大好きな友だちとワクワクする企画の打ち合わせ
すっごく楽しみにしていたことができない残念感と、申し訳ない感と、、、でも、自分の体調を最優先しました。
今日はぜんぶの予定をキャンセルしてお家でゆっくりしよう、と決めたらですね。
すごくすごーーく幸せ感
に包まれました
あぁー、私は好きに生きてるつもりだったけど、全然、自分を優先して生きてあげれていなかったんだなぁーって気づいて。
私を一番優先=愛してくれてほんとにほんとに嬉しかった
そしてね
「神様とのおしゃべり」(さとうみつろう著)でもあったけど、「迷っているということは、どちらに転んでもイイ=どちらでもいいということ」。どうでもいいということではなくて。
体調を優先するか、約束や義理(相手)を優先するか、で考えたときに、きっと、私はこのまま出掛けてもすごく楽しい一日になるだろうって確信があって、でもやっぱり体調万全で遊びたい(仕事したい)から、今日はお休みしよう、となったんだけど。
どちらも、自分にとって「最高に楽しいこと
」じゃん
って気づいて。
楽しいことと楽しいことで迷える、ていうか。
私、選択肢に好きなことしかないじゃん!!!
って気づきました
そして神様との~の神さまがおっしゃるには…
「そうである」という前提=信じていることが「現実にそうである事象を起こす」と。
だから、自分の人生には好きなことしかない、と先に信じることで、「好きなことしかない人生」が現れる。
現実は鏡であるから、笑ってる自分を映したかったら、先に笑わなければならない。
逆説でもなんでもなくて、それは宇宙原則
大切なのは、ほんとうに心から笑ってること。無理やり笑ったら、無理やり笑う現実を望んでいることになるから
で、わたし。
だんだん宇宙へのオーダーが上手になってきている気がします。
この辺はまた別記事で書きます。
私はもう好きなことしかしない、と決めて、ザワザワびくびくしながらも、一個一個、自分にとっての「悦び」「快」を自分のために選択していく。
人のため、夫のため、子どものため、って考えた時点で、自分からズレてます。
自分を幸せに出来ない人は、だれを幸せにすることもできないので。
みんな赤ちゃんと一緒
泣いてたって怒ってたって、そこにいるだけでみんなを幸せにして、楽しく笑ってくれたら、もうそれは周りの人にとってとびきりの喜び
一人残らずおなじ
でも、色んなことを体験したいという私たちは、自分に足りないものを手掛かりに、もっとこうなりたい、じゃあこうしよう、できた!、ああ幸せ
という体験をしたい私たちは、日々いろんな不足=きっかけを探してチャレンジして、を繰り返している。
何かを得られたから幸せなんじゃない。何かを得るという体験をしたいために、足りないものを見つけているだけ。足りないもの、すら自分が作り出している。
最初から幸せで、幸せじゃなかった瞬間なんてないんだ。
でもそれが信じられないから、何かを得て、幸せにならなければと思い続けるための現実を、宇宙は用意してくれる。
信じたことだけが目の前の現実に映し出されるなら、さて、何を信じようか