日々の暮らし

自分達の暮らし、老親の介護など、徒然日記

うちのウツボカズラ

2014年11月30日 | 園芸
ホームセンターで買って数ヶ月。
買った時は、一番下の葉に捕虫袋がついていたのですが
それが早々に枯れてしまいました。
で、やっとその後、上についた葉が成長して捕虫袋がつきました。





ちなみに、最初は右側に捕虫袋がついて喜んでいたら、
葉が部分的に赤くなってしまい、 みるみるうちに、
その葉の先についていた捕虫袋まで枯れてしまいました。

←枯れた捕虫袋
難しいですね。


母が退院しました

2014年11月19日 | 日記
母が1年3ヶ月ぶりに家へ戻ってきました。
頻繁に一時帰宅はしていたのですがね。。。

一応、一つ福祉サービス(家事援助で、母の食事作り)を
増やして様子を見る予定です。

本当はデイ・サービスに行ってほしいのですが、
知らない人に会っただけで、その直後、
具合悪くなってしまい、泣いてひどい状態になるので、
とりあえずデイ・サービスは置いておいて、
主治医のサービス計画書が届いたら、
訪問リハビリをお願いする予定です。

父のほうも、いろいろ体調に問題があり、
(元気なんだけど)
切除したおできの後が、化膿してきちゃったり、、、
まだ縫合手術してなかったりで、
来月中旬、外来で縫合手術なんです。

なんで手術したのに、縫合しないわけ?っていうのは、
最初に悪性黒色腫を疑われてしまい、
入院前のエコー写真で、肝臓に影が出ていて、
もしかしたら、黒色腫からの転移か?ってところまで
話が進んでいたんですよね。

モロモロの諸事情で、黒色腫なら、もっと大きめに切らないと
ダメなんだけど、転移していたら、
大きく気っても意味がないってことで、
手術では、予定よりやや一回り小さく切除したそうです。
なので、おできの切除手術の時に、傷を縫合しなかったのです。

なんか、説明すると、すごくややこしい話なんですがね・・・。

いざ、縫合の手術をお願いしたくても、
病院側の手術がすごくたてこんでいて、
やるなら12月中旬じゃないと出来ないっていわれまして。。。

切除した部分に人口の皮膚を貼り付けているだけなんです。
5センチくらいはありますから、結構なサイズ。

まぁ、黒色腫じゃなくって、基底細胞癌っていうやつだったので
転移性はないってことで、肝臓の影はまた別物(別の病気)ってことなんですわ。

86歳ですから、ほんと次から次へ出てきますね。。。

父は至って元気で、毎日、地元の皮膚科へ
ガーゼ交換に自分で運転して通院していますが。

どうしても、病院が休みの日は父が自分でガーゼ交換するし、
お風呂でシャワーで傷を洗ったほうがいいって言われたけれど
そもそもお風呂自体、習慣で週に1回しか入ってない父なんです。

それで、傷が化膿してきちゃったみたい。
困った困った。。。

ついに母の退院決まる

2014年11月12日 | 日記
母の入院期間、1年3ヶ月ですか。
その間、家族(父と私)は、かなり楽させてもらったわけですが、、、
母の退院を来週初めに決めてきました。

数日前に母のところへ、おやつを持って父と二人で行ってきたら
もう退院の支度をかなりしていました。
そのせいで血圧が上がり、具合悪くなって寝ていました。。。

「今日にでも退院したい」と母は言うのです。

「一時帰宅じゃないんだから無理。
それに来週初めは、父は再び、市外の病院へおできの傷の具合と
次の縫合の手術の件で行かないとならないから
1日家にいないんだから、退院はその翌日にしてちょうだい」と母に言いました。

なんだかんだ言い合いの末、
来週初めに退院予定となりました。

本人はね、以前から嫌っている別の部屋のおばあちゃんがイヤで
「最近またイヤな空気になってきたの」って言う。
だから、すぐにでも退院したいんだろうなって思う。

精神病になってから、人の好き嫌いが、ほんと激しくなった母です。
しまいにゃ、ケアマネさんのことも悪く言い
「もうあの人に会いたくない」と今年の春先だったかな、言っていたのです。

ケアマネ嫌ったってしょうがないじゃん。
なんにせよ、ケアマネは福祉サービス受けるための窓口なんだからさ・・・。

なんてこと、母には言いませんでしたけれどね。
言ったってピンとこないだろうし。

入院生活はイヤで、家に帰りたいというのは
入院している人の多くはそうでしょう。
(中には、家に帰りたくない。病院へずっといるっていう人もいるんですけれどね。)
←母の嫌っている、おばあちゃんがそうなんだそうです。母が言っていました。

ただね、、、母は何か勘違いしている。

病院はイヤなことがあるから、家へ帰りたい。と思っている母。
だけど、家にだってイヤなことはあるのよ。
特に、父との確執。

今は、週に何回かしか面会とかで会わないから
父は優しいよ。かぼちゃを母のために煮てあげて
自分の分は取らずに、全部、母に差し入れしている。
そんなことが何回もあった。

だけど、これがまた、以前のように毎日顔を合わせるようになったら
父だって面白くないことがたくさんあるだろうし、
また、言葉の暴力みたいなことを母に言うに決まっているわ。。。

そして、また泣いて私のところに電話がかかってくるだろうし。。。
「家を出る」って。そんなことが去年の夏から、2度あったからね。

仲の良い夫婦ならば、一緒にいても問題ないんだろうけれど、
うちの両親は、仲はいいように見えるけれど、違うからね。。。

特に、伴侶の片方が精神病だと、難しいね・・・。
2人とも元気ならば夫婦仲もいいんだろうけどね。。。
(心に余裕もあるしね。相手にも優しくできるよね)

自分の将来も、こういう(両親のような)夫婦にはならないようにと思っているけれど。
傍から見るほど、簡単なことではないだろうなぁ。おそらく。



ふたたび母のこと

2014年11月12日 | 日記
父の退院を手ぐすね引いて待っていた母。

今までの父の病気の経緯をハッキリと伝えてなかったものの
(最初に担当医から言われた病名(悪性黒色腫)のことを言ったら、
母の精神がますます混乱しそうだったので。
それでなくても、感情のネジが1本外れているような母ですからねぇ・・・)

退院が決まった時も、退院して初めて父と会った時も
母の口からは、「退院できてよかったね」という言葉はなかった。

これが、同じような経緯を説明していた義母に
父の退院したって電話を旦那がしてくれたのですが
義母からは「良かったね」と言ってくれたそう。

やっぱりさ、普通の精神状態だと
1週間の予定の退院が9日10日に延びたとはいえ
まずまず当初の予定どおり退院できたんだから
「退院できてよかったね」ですよね?

母の場合は違うんだなぁ。

父の病名をごまかしていたことに対しての
不安や不満、怒りがごちゃまぜになっていたし、
父が早く退院しなければ、自分も退院できないって本人も理解していたから
父の入院中に、父の治療の経緯や、別の検査(PETなんですけれどね)
するかもしれないって言っていたら
「どうして先生は早くやってくれないの?なんでまた検査しなきゃならないの?
家に誰も住んでなくて、家も傷むから
早く退院させてほしいって先生に言えないの?」と
とにかく不満ばかり。

父の退院が決まった時に母から電話かかってきた時も
「なんで退院を早くしてくれなかったの?」と不満タラタラ。
「退院が決まったんだから(検査もしなくてよくなったし)
喜ばしいことなんだよ」って母に言っても
「喜ばしいっていったってねぇ・・・」とすごく不満気。

こういう考え方だから、こういう精神病になったんだろうなって思う。
それとも、精神病だから、こういう考え方しか出来ないのか。

まさに、ニワトリが先か卵が先か・・・の状態ですが。

意外な嬉しい検査結果と父の退院

2014年11月12日 | 日記
父が、ほぼ予定どおり9日間の入院生活を経て、
先週金曜日に退院してきました。

経緯を簡単にご説明しますと、
病理検査の結果、一番懸念されていた病気ではなくって(おできのことですが)
悪性には変わりないものの、まず転移しないだろうという病気でした。
悪いレベルからすると、一番悪いのが悪性黒色腫で、転移する病気らしいです。
父のおできは(病名忘れた・・・)中間くらいのレベルだそうです。

(肝臓の影はまた別のもののようで。。。)

とりえあず、おできのほうは切除したので退院となりました。
診察のために頻繁に市外の病院(手術した病院)に
通うのは大変だろうということで、
地元の病院に紹介状を書いてもらい、
今週から毎日、ガーゼ交換に通っています。
(父が運転して行っています)

自宅から車で10分くらいのところだけど、
混み合う時間だと、駐車場もいっぱいだし
待ち時間もあるしで、父にとっては、
やや大変なことだとおもいます。

私が実家へ行く時は、ガーゼ交換してあげようかと思っています。
(傷口見るのが、グロテスクで怖いですけれどね、、、)