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櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

ダンスクラス報告:7/29 (増幅されてゆくもの)

2016-07-29 | レッスン・WSノート
音のなかに立つことから今日のレッスンは始まった。
パッと雑念を捨て、垂直に立つこと。そしてシンプルに音を浴びること。衝動やイメージが湧いたなら、素直に動くこと止まること。

ダンスクラスは毎週金曜日の夜に行うが、月の半分は生演奏のなかで即興で踊り、あと半分はシーズン毎の音楽を決めて、それを繰り返し聴きながら参加者一人一人が自由に創作する。今日は後者の稽古だった。

毎回あたらしい気持ちで思い浮かぶままに試行錯誤する人もいる、回を追うごとにイメージやモチーフが定着してそれらを磨きこんでゆく人もいる。
各人各様の取り組みを楽しんでいるが、やはり次第次第に、ある音楽が身体に馴染んで染み込んでゆくのがカタチとしてウゴキとして、目に見えてくる。
音楽が身体の内部にある熱や生命力を増幅してゆくようだ。
内部の力が意識され、それが姿態や運動になって具体的に外に出てくる瞬間は、すがすがしい。

身体と音が、絶えず作用しあいながら互いを結び付けたり切り離したりして、新しい一瞬を生み出してゆく。

時にそれは、元々あった音楽や日常で抱いていた心には無かったイマジネーションを垣間見せる。

稽古を繰り返しながら、意外な展開や変容を露わにする一人一人を見つめていると、ダンスのなかで増幅されるエネルギーや想像力の爆発を感じてならないし、そこには踊り独特の踊りでしか発現し得ないゾーンが関わっているように思えて仕方がない。

例えば音と身体が関わってゆくなかで、もっと広げれば、生命力と生命力が関わってゆくなかで、新しい見たことがない、第三世界が生起してゆくようでもある。

それは一人一人が純粋に踊りを楽しみにして練習しているからこそ、現われてくることなのかもしれない。

踊ること自体を生活の一環として大切にしていると、踊りの精霊が音楽と一緒に肉体に入ってくるのだろう。

繰り返す行為のなかで、増幅されてゆく何か。

それを目の当たりにしていると、懸命に教えるほどに、学んだり気付いたり反省することも増幅されてゆく。大切な時を、もらっている。

クラス詳細、参加方法


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