櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

断片・またバベルの塔の

2017-05-29 | ダンスノート(からだ、くらし)
漫画家の大友克洋氏がテレビで「バベルの塔」についての想像を話していらして、あれは「なか」に世界があって、それを「そと」がわから眺めた様子をブリューゲルは描いたのだろうという、これには頷いた。
それで勝手に連想したら、いまのこの世も、少し遠い外側から眺めたらバベルの塔みたいに見えるのでは、なんて思ってしまう。
あそこには沢山の人が描かれていて、沢山の人が何かしら仕事をしているように見える。世界をつくりながら、つくった世界の内部で働いている。そして、その世界は永遠に未完成のようでもあり、つくりながら壊れてゆくようでもある。そして、その世界の外側にはもっと広い青空や海がある。

バベルの塔は螺旋だから坂道で出来ている。あの坂道を一気に転がり落ちたらすっきりするだろうと思う。バベルの塔で踊るなら、そういう転落をたぶんするだろう。
あのなか、では踊る感じがしない。
オドリ、というのは逸脱のようでいて、実は非常に真面目だ。ダンスなる行為はイマとかココなんて言われるバベルの塔からの解放線にどこかカンケイしているのでは、、、。と、そんな奇妙な感覚をもってしまうことがある。と思う。ずれ、狂い、言葉つまらせて、揺れる、ことは、バベルの塔の外側に命を引っ張っているのではないか。とも。
身体の奥の奥で窒息しそうに息をしている、いや息をころしているものを感じることがある。
生き物の、野性というか、生死という時間の卵というか。
ほんとうは、それが本来のものなのだが、理性に抑圧されている。
僕は現在とか社会とかいうところに「い」るが、身体はむしろそんなものに犯されまいと沢山の沈黙シグナルを発している。
イマというのも、ココというものも、ワタクシというものも、一種の制度のようで息苦しい。どうしようもなく手強い相手だが、やはり、、、。

ただ一枚の絵から妄想はひろがりつづけてしまう。


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櫻井郁也ダンスソロ新作公演webサイト
7月29〜30(土・日)上演。最新作です。ぜひ。


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