あれは1986年だった。土方はもう踊らないんじゃないか、いや今度は踊るらしい、色々な憶測がとんでいたが、ギリギリこの世に居た。ほら居るよ、あのひとだよ、と教えてくれた奴の声がうわずっていたのを淡く覚えている。
最後から幾つ目の舞台だったかしら、池袋のスタジオ200に組まれた踊り場は真黒な十字架、その上にずらりと並んだ白い肉体が弓なりにしなって溜息が出た。爆音とダンスのてっぺんで祝祭のくす玉がパーンと割れたとき、その凛と放たれた空気に、喝を入れられた気がした。狼を見たようだった。時々ふと思い出す。思い出しながら、思う。もし土方巽の舞台に触れていなかったら自分はいまダンスをしていたのかしら、と。
1月21日、土方巽の命日がまた過ぎようとしている。
最後から幾つ目の舞台だったかしら、池袋のスタジオ200に組まれた踊り場は真黒な十字架、その上にずらりと並んだ白い肉体が弓なりにしなって溜息が出た。爆音とダンスのてっぺんで祝祭のくす玉がパーンと割れたとき、その凛と放たれた空気に、喝を入れられた気がした。狼を見たようだった。時々ふと思い出す。思い出しながら、思う。もし土方巽の舞台に触れていなかったら自分はいまダンスをしていたのかしら、と。
1月21日、土方巽の命日がまた過ぎようとしている。