アントワーヌ・コワベルはベルサイユ宮の天井画で有名ですが、この人が描いた幾つかの素描を、新しいダンス作品を模索しながら、しばしば思い出します。
初めて見たのはジャック・デリダという哲学者のエッセイ本で、画集などと違って小さく決して鮮明ではない資料として掲載されたものだったのに、非常に印象強く、そのページで読書が止まってしまったのでした。絵に眼が惹かれて、エッセイに戻れない。戻ろうとするのだが、またページを遡って絵に眼が止まってしまう。という。
それは、目が見えない人の姿を描いた2枚の絵でした。
一枚は後ろ姿で、手探りで何処かに歩いているのだが、その少し丸くなった背中がウワッと広がり背後の光景を丸ごと抱えているように見える。さらに足が実に強く立っていて、これは歩いている途中なのだが、地の底まで感じているのだろうか、という、非常に複雑なニュアンスなのです。
そしてもう一枚は前姿ですが、見えない眼が逆に何もかもを見ているように広く遠くに開いていて、こちらは眼から下の全てが空間に溶けているのだろうか、えらく軽いのです。
不思議な、それでいて非常にリアルな、身体感覚そのものを描いてあるように見えるのです。
観察によるのか、体験によるのか、予感によるのか、おそらくはそれら全てがミックスされて画家の手から実体化されているのでしょう。
よく知られた絵でないかもしれないが、非常に味わい深い、インパクトがあります。
僕は本物をまだ見たことがないが、ルーブルにあるようです。
ご覧になった方がいたら印象をたずねてみたい。もしフランスに行ったら見たい絵です。
初めて見たのはジャック・デリダという哲学者のエッセイ本で、画集などと違って小さく決して鮮明ではない資料として掲載されたものだったのに、非常に印象強く、そのページで読書が止まってしまったのでした。絵に眼が惹かれて、エッセイに戻れない。戻ろうとするのだが、またページを遡って絵に眼が止まってしまう。という。
それは、目が見えない人の姿を描いた2枚の絵でした。
一枚は後ろ姿で、手探りで何処かに歩いているのだが、その少し丸くなった背中がウワッと広がり背後の光景を丸ごと抱えているように見える。さらに足が実に強く立っていて、これは歩いている途中なのだが、地の底まで感じているのだろうか、という、非常に複雑なニュアンスなのです。
そしてもう一枚は前姿ですが、見えない眼が逆に何もかもを見ているように広く遠くに開いていて、こちらは眼から下の全てが空間に溶けているのだろうか、えらく軽いのです。
不思議な、それでいて非常にリアルな、身体感覚そのものを描いてあるように見えるのです。
観察によるのか、体験によるのか、予感によるのか、おそらくはそれら全てがミックスされて画家の手から実体化されているのでしょう。
よく知られた絵でないかもしれないが、非常に味わい深い、インパクトがあります。
僕は本物をまだ見たことがないが、ルーブルにあるようです。
ご覧になった方がいたら印象をたずねてみたい。もしフランスに行ったら見たい絵です。