時間はいつもサヨナラと囁いている。
訃報とともに今週は始まった。マース・カニングハム氏だ。クラスにも、ざわめき、ため息、追悼。26日ニューヨークにて、享年90歳、老衰との由。
新しい気持ちが湧き出る時、ふとフラッシュバックのように、かすめる記憶のひとつに、氏のダンスを観たあとの小気味良さがある。影響を受けるとかいう、せちがらい感触とは違って、解放感や生理的な快感をただただ浴びていた。その存在の仕方に、励まされた。
世評やら人気ともかくとして、僕は、この人のダンスにそこはかとない優しさと品格を感じていた。
氏の作品世界には、それに接触しながらも、まったく自由に個々の想像力を開き、それぞれの生活感情を味わい直すことができる空白が、ちりばめられていると感じていた。だから、励まされていたんだと思う。
生きているアメリカ。星条旗やハリウッドや戦争や金融や摩天楼や砂漠からは見えない、アメリカなる何か。同時に、いくつもの「ひとつの肉体」が奏であう絶望的な素敵さ。未来的な古典。
時間も空間も、くっきりと遠い。それゆえ、逆に親しみを抱いた。触れるたび、わからずやのお爺さんに遊んでもらっているようで、ひたすら楽しかった。さよならは、言いたくない。
カニングハムダンスの楽しみは、記憶のなかで、踊り子としての苦楽のなかで、現れては消える予感や夢の背後で、まだまだ響き続いてゆくと思う。果てない自由の哲学を指差しながら、ひとりの人間が星の光に生まれ直していった。そう思う。静かに感謝したい。
訃報とともに今週は始まった。マース・カニングハム氏だ。クラスにも、ざわめき、ため息、追悼。26日ニューヨークにて、享年90歳、老衰との由。
新しい気持ちが湧き出る時、ふとフラッシュバックのように、かすめる記憶のひとつに、氏のダンスを観たあとの小気味良さがある。影響を受けるとかいう、せちがらい感触とは違って、解放感や生理的な快感をただただ浴びていた。その存在の仕方に、励まされた。
世評やら人気ともかくとして、僕は、この人のダンスにそこはかとない優しさと品格を感じていた。
氏の作品世界には、それに接触しながらも、まったく自由に個々の想像力を開き、それぞれの生活感情を味わい直すことができる空白が、ちりばめられていると感じていた。だから、励まされていたんだと思う。
生きているアメリカ。星条旗やハリウッドや戦争や金融や摩天楼や砂漠からは見えない、アメリカなる何か。同時に、いくつもの「ひとつの肉体」が奏であう絶望的な素敵さ。未来的な古典。
時間も空間も、くっきりと遠い。それゆえ、逆に親しみを抱いた。触れるたび、わからずやのお爺さんに遊んでもらっているようで、ひたすら楽しかった。さよならは、言いたくない。
カニングハムダンスの楽しみは、記憶のなかで、踊り子としての苦楽のなかで、現れては消える予感や夢の背後で、まだまだ響き続いてゆくと思う。果てない自由の哲学を指差しながら、ひとりの人間が星の光に生まれ直していった。そう思う。静かに感謝したい。