囲碁の藤沢秀行氏を伝えるテレビ番組で耳にしたのですが、秀行氏がよくサインなどのときに書いた造語に「無悟」という言葉があったそうです。むご、と読むそうですが、この言葉をきいて、なぜかすっきりしました。
悟は囲碁の碁にかけたのでしょう。そして意味は、芸は永遠に悟る事ができない、ということだそうです。
勝手に推測するならば、その言葉の背景には、無限のなかにいる、ということが、先ずあるのではないかと思います。無限の道を歩くのだから到達点とか悟りとか極める、ということをキッパリと断っている。しかし、何かに辿り着こうとするからこそ、その遠さがわかってくる、無限ということもわかってくる、という感じもあるのだろうかなとも思います。
何かに取り組んで、とどのつまり僕にはこれはわからないのだと、つまり、わからないということがわかってくると、取り組んでいるものが大きく開いて、面白さも何か広く拡がってくる。そんな感じがありますから、この言葉はちょっと信用できそうな匂いがしたのかもしれません。
悟は囲碁の碁にかけたのでしょう。そして意味は、芸は永遠に悟る事ができない、ということだそうです。
勝手に推測するならば、その言葉の背景には、無限のなかにいる、ということが、先ずあるのではないかと思います。無限の道を歩くのだから到達点とか悟りとか極める、ということをキッパリと断っている。しかし、何かに辿り着こうとするからこそ、その遠さがわかってくる、無限ということもわかってくる、という感じもあるのだろうかなとも思います。
何かに取り組んで、とどのつまり僕にはこれはわからないのだと、つまり、わからないということがわかってくると、取り組んでいるものが大きく開いて、面白さも何か広く拡がってくる。そんな感じがありますから、この言葉はちょっと信用できそうな匂いがしたのかもしれません。