稽古場のすぐわきが桜の名所になっている。
きのうはまさに花見日和で、
それで、きのう土曜日のレッスンは、フィールドワークでもしようということになり、
まず稽古場から外に出て、花を見に行った。
さいしょは花を見て、少し話し合って短い踊りをつくってみるつもりだったが、
稽古場に帰って、もう、すぐに踊ってもらった。
満開手前の桜にかこまれていると、とにかく黙って踊るほうが良いと思えてきた。
クラスメンバーの立ち居振る舞いには、やはり花の気配を吸い込んだ身体の、なんともいえない感じがあった。
言葉にしてしまう前に、解き放ったほうが良いものが、身体にはたくさんある。
花は、そういうものを誘い出してくれる。
かなり踊ったあと、自然に話もした。
いま、ウイルスから始まって心配事がたくさん増えて、窮屈になっている。
だけど、花からこぼれだしてくる光を浴びて、
そして、身体からこぼれだしてくる動きをすべて受け容れてゆくとき、
僕ら自身もまた、なにか明るいものを生み出すことが出来る存在であることを、
なんとなく思うことができた。
世情にふりまわされたり、まわりに気を使ってばかりいると、
日常に閉じ込められて、まわりが澱んでゆく。
自由であることも、なんだか難しいもののように感じ、
思えば思うほど何かが遠ざかってゆくような心境になることがある。
そして、いつのまにか、自分で自分を束縛してしまう。
そうすると、ダンスはどんどん遠ざかる。
かたく萎縮してしまわないように、僕らは身を振り動かす。
踊りを大事にできる人は、好きなものや、好きなことを大事にできる人だ。
自分の好きなことを大事にできる人は、家族やまわりの人の好きなことをも大事にできると思う。
踊るということに懸命になってゆく人は、いつか必ずやわらかくなる。
自分自身に対しても、まわりに対しても、やわらかく接するようになると思う。
踊りの稽古は、素直に感じることを繰り返してゆく稽古だ。
見えるもの聴こえるものを大切に受け止めてゆく。
そして体の中であたため、ふたたび外の世界に還してゆく。
花を見ることから、そんなことを、あらためて思った。
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