谷川俊太郎さんの詩に、こんな言葉があります。
「黙っているのなら
黙っていると
言わねばならない」
すごく僕にはインパクトがある言葉です。
踊るときは黙って踊る、しかし無数の言葉が凝縮されてこそ、黙って踊る。言葉が臨界点に達して、もはや身を揺するしかない状態、それが踊るという動的な沈黙に向かわせる。
うまく発話できないから踊るのでは情け無い、曖昧なものからは力が出ない、地を踏む力さえ曖昧に逃げてゆく、という実感が、深くあります。
上の詩から、そのことを再認識させられます。
谷川氏が思うことと合っているかどうか分からないけれど、僕にとって「黙っている、と、言う」というのは、黙る覚悟をあらわす、というアクションに重なるし、それが踊らざるを得ない踊りという次元に結びついてゆきます。
詩は続く。
「一本の樹によらず
一羽の鳥によらず
一語によって私は人」
と。そして、次のように途絶えます。
「けれども
私は答えるだろう
いま雑木林に消えてゆく光に
聞き得ぬ悲鳴
その静けさに」
と、、、。
おそろしく大きな沈黙の広がりを感じます。
そして沈黙の背後にある、あるいは沈黙から生み出されてゆく限りない言葉のひしめきを感じます。
そして、人を私とする一言、を生み出してゆく力を。
すなわち、私が私として立つ力を獲得するための何かを。
新作を立ち上げる稽古のなかで出会った詩です。
タイトルは「anonym」という、これは無名という意味だそうです。
「黙っているのなら
黙っていると
言わねばならない」
すごく僕にはインパクトがある言葉です。
踊るときは黙って踊る、しかし無数の言葉が凝縮されてこそ、黙って踊る。言葉が臨界点に達して、もはや身を揺するしかない状態、それが踊るという動的な沈黙に向かわせる。
うまく発話できないから踊るのでは情け無い、曖昧なものからは力が出ない、地を踏む力さえ曖昧に逃げてゆく、という実感が、深くあります。
上の詩から、そのことを再認識させられます。
谷川氏が思うことと合っているかどうか分からないけれど、僕にとって「黙っている、と、言う」というのは、黙る覚悟をあらわす、というアクションに重なるし、それが踊らざるを得ない踊りという次元に結びついてゆきます。
詩は続く。
「一本の樹によらず
一羽の鳥によらず
一語によって私は人」
と。そして、次のように途絶えます。
「けれども
私は答えるだろう
いま雑木林に消えてゆく光に
聞き得ぬ悲鳴
その静けさに」
と、、、。
おそろしく大きな沈黙の広がりを感じます。
そして沈黙の背後にある、あるいは沈黙から生み出されてゆく限りない言葉のひしめきを感じます。
そして、人を私とする一言、を生み出してゆく力を。
すなわち、私が私として立つ力を獲得するための何かを。
新作を立ち上げる稽古のなかで出会った詩です。
タイトルは「anonym」という、これは無名という意味だそうです。