作業が速度を増してきた。(11月1日/2日に公演)
静かな場所にカラダを置く。
動きを待つ。動きに動く。静止から動きへ、動きから静止へ。
神経に記録された動き、筋肉に刻まれてきた力学、まだ心の中に渦巻くままのカオス・・・。
それらを、ひとつの時間ひとつの空間のなかに凝縮してゆくことができるかどうか。
「通し稽古」をする。直後に破る。新たなフラグメンツ。否定。また、流れ始めて・・・。
この時期は、作品が「みえてくる」時期。でもあるが、気に入らないことだらけで身体を追いつめてしまう時期でもある。
楽しみでもありオソロシクもある。ちょっと独特だ。
同時に、音の作業も、カタチになりはじめる。
何もない空間でダンスしながら、無音のなかで聴いていた音。
野外稽古で風や人の足音のなかで探していた音楽。
ピアノの鍵盤の前で、五線譜の前で・・・。
まあ、いたるところで音にならない音はあったのだけれど、それらを実際に耳に聴こえるものにしてゆく作業。これは一つの山場。
(6月に上演した『Dance of the dead』での音はフランツ・リストの楽曲の解体再構築で、コラボレーターのステファニーが行なったのだが、そこで彼女が出してきたサウンドは、リスト独特の構築性が空中分解して壊れたレコーディングのように繰り返される、円環的なある種の迷宮のような響きへ移行するものだった。オペレーション自体は単純な操作なのだが、ちょっと不思議な感覚があらわれて、それを踊りながら僕は、時間軸を奪われたようになった。自分の世界を危うくしてくれた。それはダンスにとっては、結構ラッキーなことだった。)
今回のは自分で音をつくる作品。
カラダの中に響いていた音を抽出する作業とも言えるし、逆に、カラダが想定していなかった音を浴びせかけて揺さぶりをかけてゆく作業とも言える。
音は内部にも響いているが、圧倒的に外側から襲いかかってくるものでもある。
いまカタチになりつつあるさまざまな音。
これらが、ダンスにどんな刺激を与えるか・・・。
さて、またレコーディングを。
かなり長い時間かかるかも。
______________________________
公演info.
櫻井郁也・公演サイト
静かな場所にカラダを置く。
動きを待つ。動きに動く。静止から動きへ、動きから静止へ。
神経に記録された動き、筋肉に刻まれてきた力学、まだ心の中に渦巻くままのカオス・・・。
それらを、ひとつの時間ひとつの空間のなかに凝縮してゆくことができるかどうか。
「通し稽古」をする。直後に破る。新たなフラグメンツ。否定。また、流れ始めて・・・。
この時期は、作品が「みえてくる」時期。でもあるが、気に入らないことだらけで身体を追いつめてしまう時期でもある。
楽しみでもありオソロシクもある。ちょっと独特だ。
同時に、音の作業も、カタチになりはじめる。
何もない空間でダンスしながら、無音のなかで聴いていた音。
野外稽古で風や人の足音のなかで探していた音楽。
ピアノの鍵盤の前で、五線譜の前で・・・。
まあ、いたるところで音にならない音はあったのだけれど、それらを実際に耳に聴こえるものにしてゆく作業。これは一つの山場。
(6月に上演した『Dance of the dead』での音はフランツ・リストの楽曲の解体再構築で、コラボレーターのステファニーが行なったのだが、そこで彼女が出してきたサウンドは、リスト独特の構築性が空中分解して壊れたレコーディングのように繰り返される、円環的なある種の迷宮のような響きへ移行するものだった。オペレーション自体は単純な操作なのだが、ちょっと不思議な感覚があらわれて、それを踊りながら僕は、時間軸を奪われたようになった。自分の世界を危うくしてくれた。それはダンスにとっては、結構ラッキーなことだった。)
今回のは自分で音をつくる作品。
カラダの中に響いていた音を抽出する作業とも言えるし、逆に、カラダが想定していなかった音を浴びせかけて揺さぶりをかけてゆく作業とも言える。
音は内部にも響いているが、圧倒的に外側から襲いかかってくるものでもある。
いまカタチになりつつあるさまざまな音。
これらが、ダンスにどんな刺激を与えるか・・・。
さて、またレコーディングを。
かなり長い時間かかるかも。
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公演info.
櫻井郁也・公演サイト