櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

断片:プロセス(ソロ『トラ・ラ・ラ』)2019春

2019-03-25 | ダンス新作公演 Next performance
一年365日は一つの連続だが、実際には眠りによって途切れている。
毎夜見る夢が全く別であるように、毎日というのは全く別のものであるとも、思える。
生活では、きのうを延長することも出来るが、きのうを断ち切って新しい生を始めることも出来る。

日常でさえそうなのだから、踊りではなおさら365種類のバラバラの生を生きることだって、できるのではないか、と思ってしまうことがある。

踊るということが、生まれ直す、ということについての挑戦であるかのように思うことも、たびたびある。
この現在、この存在、この自分、この時間、といった、あらゆる既成のものを打ち壊し、真っ白にして、
生まれ直そうということについての、、、。

他人のものでも、たとえばアルトーの出演しているフィルムの断片を視るたび、いや、うごくフィルムでなくとも彼の写真でも、そんなことを思えて仕方がない。暗殺されるマラーを演じたものは特にそうだ。殺されて浴槽に倒れているが、同時に、再生するための死にも見えてくる。

踊るたびに体の中身がすべて入れ替わってしまうといいのに、
と思うこともある。
肉体はしかし単なる器ではない。
肉体は記憶をたくわえて、ここにある生き物だ。
ここにありながら、記憶を堆積しつづけている。
行動したことの記憶、受容してきたものの記憶。
肉体の記憶は現実の記憶でもある。
肉体は現実の層でもある。
夢は心に残っても肉体には残らない。
意識は過去を断ち切って毎日を新しくすることができるが、
肉体は現実を連続していて、断ち切ることがない。
しかし、踊ることを通じて、肉体は現実ではないものを現実にしてしまうことがある。
たぶん何かが、その一瞬だけ、入れ替わってしまうのだと思う。

意識の中には「無数」の「からだ」がある。
肉体の中には「唯一」の「からだ」がある。

想像と現実。
連続と不連続。
発生と消滅。
さまざまなものが、踊りの中には渾然として溶け合おうとしたり対立したり、している。

踊りは、溶鉱炉のようなものだと思う。


(稽古日記から抜いた。辻褄が合わない部分もあるが、いま進めている新作の根に関連する一文と感じたので、、、。)

まもなく上演!
櫻井郁也ダンスソロ新作公演『トラ・ラ・ラ』
4/6〜7 東京・plan-B
公式webサイト

SAKURAI IKUYA DANCE SOLO
Newest work
"TORA LA LA"
6th and 7th Apr.at plan-B,Tokyo

※Detail and Reserv.=click here

↑くわしいご案内、チケット予約↑上記タイトルをクリックしてください
前売2,500円、予約2,800円ほか、チケット予約受付中





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いま創作中の作品に関連のあるメモや過去記事など。
(何らかの重なりがあるものは、かなり以前のものも含めております、、、。)





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