ウォーミングアップから、カラダの動きや集中力の変化をみながら、音楽をそっと沿わせてゆく。徐々に動きは踊りに変化してゆく。音楽を消せば、息音と衣擦れがすでに音楽に代わって空間を彩り始めている。
動きの発生、佇まいの発生、イメージの発生、姿の発生、風景の発生・・・。
きょうは、西荻・ほびっと村学校での『舞踏』クラス、だった。
即興で踊ることを繰り返しながら、肉体、想像力、心の動き、リズム、グルーヴ、自分自身のさまざまな感覚を、感覚の変化変容ふくらみ広がりを、育てていってもらう稽古だ。
素朴で、率直で、小細工のない、上手い下手を問わない、しかし真摯な、自己に対して忠実であろうとする、そのような身体の動きの、いや、心と体がたがいに反映しあうことの、稽古。
数人で行なうが、動きのなかでは「きちんと一人になる」ことを、する。互いに口を出さないし、必要も無いのに絡んだりしない。コミュニケーションは空気を通じて、必然的に深層的に、あるから。
毎月2回、ここに来れば、いつも自分の躰に向き合える、身体や心と対話できる、そんな場所に育ててゆきたくて、続けている。
特有の落ちつき、しかし集中力ゆたかな熱の場所になってきたと思う。
舞踏することを踏業と呼んでいられる先輩がいて、尊敬している。
踏という字が、そのまま人の全身の姿に重なる。
どんなふうに人はその人自身を受け入れているかを、からだは、醸し出す。
踊りは、体験の量からだと思う。
うごいて、とまって、とまどって、解放されて、、、。
即興する。外から振り付けられる。体を鍛える。体を整える。
そんななかで、さまざまな自己自身との出会いを重ねてゆくから、
踊りの体験量は、自己認識の量ともいえる。
このクラスでは、たくさん話すわけではない。
むしろ寡黙かもしれない。
話や質疑は、何回か息を入れる休み時間に行なう。
踊る時、からだを動かす時、なるべく余計な言葉や手本を入れないようにしている。その人の動きを引き出すには、言葉が全てではない。
インストラクションや指示の代わりに、打楽器の演奏・朗読・しじま、それらの組み合わせで参加者の動きとセッションをする。動きを導こうとする、動きに伴奏する、動きに注意力を与えようとする、などなど。盛り上げたり、鎮めたり。
しかし、お互いに、伝わるものは伝わってゆく。そこが面白い。
いつも、とても自然な時間が流れていると思う。
こんな時の流れは、勝手に出来てゆくわけではなく、やはり参加者のひとりひとりの意識が反映して交響して、出来ているのだと思う。
空間や時間の感触そのものが、このクラスの特色になっているかもしれない。双方向的な交感によって、学びあう、というのは、やはり基準であるように感じる。
きょう、踊りを誘発したもの。
韓国の伝統音楽、澤井一恵さんによる幾つかの箏曲の演奏、詩人の吉岡実さんのインタビュー、僕自身の稽古日記、即興的なつぶやきとかけ声、何よりも、参加者の息の音そして足音そして沈黙。
ご参加の案内は↓。
【西荻・ほびっと村学校『舞踏』クラス】
西荻・ほびっと村学校HP
__________________
毎週のクラス(ダンス、オイリュトミー、からだづくり)
【櫻井郁也・定期クラス】
定期クラス
土曜・新クラス:募集&カリキュラム
※いづれも初心者より、随時OK
※臨時休変更の場合はブログ掲示をしますので、当日チェックを必ずお願いします。
【ご連絡】080-3507-3860 j-ss★rj8.so-net.ne.jp(★→@に)
動きの発生、佇まいの発生、イメージの発生、姿の発生、風景の発生・・・。
きょうは、西荻・ほびっと村学校での『舞踏』クラス、だった。
即興で踊ることを繰り返しながら、肉体、想像力、心の動き、リズム、グルーヴ、自分自身のさまざまな感覚を、感覚の変化変容ふくらみ広がりを、育てていってもらう稽古だ。
素朴で、率直で、小細工のない、上手い下手を問わない、しかし真摯な、自己に対して忠実であろうとする、そのような身体の動きの、いや、心と体がたがいに反映しあうことの、稽古。
数人で行なうが、動きのなかでは「きちんと一人になる」ことを、する。互いに口を出さないし、必要も無いのに絡んだりしない。コミュニケーションは空気を通じて、必然的に深層的に、あるから。
毎月2回、ここに来れば、いつも自分の躰に向き合える、身体や心と対話できる、そんな場所に育ててゆきたくて、続けている。
特有の落ちつき、しかし集中力ゆたかな熱の場所になってきたと思う。
舞踏することを踏業と呼んでいられる先輩がいて、尊敬している。
踏という字が、そのまま人の全身の姿に重なる。
どんなふうに人はその人自身を受け入れているかを、からだは、醸し出す。
踊りは、体験の量からだと思う。
うごいて、とまって、とまどって、解放されて、、、。
即興する。外から振り付けられる。体を鍛える。体を整える。
そんななかで、さまざまな自己自身との出会いを重ねてゆくから、
踊りの体験量は、自己認識の量ともいえる。
このクラスでは、たくさん話すわけではない。
むしろ寡黙かもしれない。
話や質疑は、何回か息を入れる休み時間に行なう。
踊る時、からだを動かす時、なるべく余計な言葉や手本を入れないようにしている。その人の動きを引き出すには、言葉が全てではない。
インストラクションや指示の代わりに、打楽器の演奏・朗読・しじま、それらの組み合わせで参加者の動きとセッションをする。動きを導こうとする、動きに伴奏する、動きに注意力を与えようとする、などなど。盛り上げたり、鎮めたり。
しかし、お互いに、伝わるものは伝わってゆく。そこが面白い。
いつも、とても自然な時間が流れていると思う。
こんな時の流れは、勝手に出来てゆくわけではなく、やはり参加者のひとりひとりの意識が反映して交響して、出来ているのだと思う。
空間や時間の感触そのものが、このクラスの特色になっているかもしれない。双方向的な交感によって、学びあう、というのは、やはり基準であるように感じる。
きょう、踊りを誘発したもの。
韓国の伝統音楽、澤井一恵さんによる幾つかの箏曲の演奏、詩人の吉岡実さんのインタビュー、僕自身の稽古日記、即興的なつぶやきとかけ声、何よりも、参加者の息の音そして足音そして沈黙。
ご参加の案内は↓。
【西荻・ほびっと村学校『舞踏』クラス】
西荻・ほびっと村学校HP
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毎週のクラス(ダンス、オイリュトミー、からだづくり)
【櫻井郁也・定期クラス】
定期クラス
土曜・新クラス:募集&カリキュラム
※いづれも初心者より、随時OK
※臨時休変更の場合はブログ掲示をしますので、当日チェックを必ずお願いします。
【ご連絡】080-3507-3860 j-ss★rj8.so-net.ne.jp(★→@に)