秋です!
最近、3クラス共通の練習の主題として「感情の動き」を育てています。
ダンスにおいても、その基盤となるトレーニングにおいても、このことは決定的な要素です。
「感情の動き」とは、自らの感情放出ではなく、むしろ「感情を反映する動き」。
瞬間瞬間に動く気分や意識の明暗を、可能な限り豊かに、身体とりわけ体幹部に反映させていこうという練習です。
心身ともに「素直になる」ための練習とも言えます。
ベースになるのは「ゆるんで」立つこと。
「ゆるむ」とは、ぼ~っと力を抜いている状態ではありません。
力を抜きつつも、血の流れ、呼吸の流れ、神経の流れをとどこおりなく味わっている状態です。
僕らの体は、流れ続けています。周囲も流れ続けています。
内部と外部の流れを存分に「受け入れ」て活発に「運動しながら」、僕らは何かを感じていると実感します。
それらを感じにくい部分が「こわばり」です。顔の表情と同じで、こわばっていては、何も受け入れることができません。
顔面と体全体は常に照応しています。まずは、自分の顔を意識してみます。生き生きと変化をしているでしょうか・・・。
顔の力が抜けてくると、ダンスも変化してきます。
話はそれますが、以前、なんとなく好きだと思っていた異性と別れたとたんに顔の力が抜け、水を得た魚のように動けるようになった、という人がいて、とても興味深く思った事があります。視野が急に開けたというのです。
僕自身は、20代の頃なんとなく好きでやっていたアルバイトを辞めて、同様の体験をしたことがありました。実は「好きになろうと努力していた」だけで、そのことが負担になっていたみたいです。
食べ物も同様。本当に体が求めているものを食べていると、舌が敏感になり、内蔵も筋肉も活発になるそうです。
いろんなことを抱え込んでいると、知らず知らずストレスがたまり、それを感じていると耐えきれないので、感性を鈍くして防御する。
結果、心身ともにこわばりが生ずる、という仕掛けなんですね。
「感情」ゆたかな動きは、大きく、堂々として迷い無く見えます。
「力を抜く」ことが、雑念を取り払う稽古もになるのでしょう。
それを突き詰めていくと、物事に接する態度や、生活習慣・コミュニケーション習慣にも及んでいきます。
「思い込み」と「感じること」の違いがハッキリしてくるのです。
「思い込み」は体に命令しますが、「感じること」は体に反映されるのみで無理がありません。
感情を身体に反映させる事に慣れていくと、自分の内面が、いかに変化に富んでいるかが分かってきます。
そして、環境との関係の中で生かされ、自らも環境に働きかけているという、「あたりまえ」の事に改めて驚きます。
豊かな呼吸と環境への好奇心、適度な空腹や渇望感、確かな自立感。それらが、感情の通った身体へと僕らを導くと思います。
深い眠りから覚めて、気持ちのよい空気を浴びる瞬間みたいな感じです。
何度も稽古して、生活も変わっていくうちに、そんな感覚が出てきます。
「感じる」って、向かい合った人や音やものごとから、何かを受け取る事です。
「動く」って、受け取ったものを再び還すことです。
植物が、光を感じることで酸素を生み出すように、僕らは印象を感じることでイメージを生み出します。
たえず新しいイメージを生み出す身体は、それを見つめる精神に柔軟さを与えると僕は思っています。
ダンスは、柔らかいからだをつくるというよりも、素直なからだに向かう努力を通して、精神や生活を柔らかくするんじゃないでしょうか・・・。
(個別のクラスについても、また書きます!)
クラス紹介&参加方法
最近、3クラス共通の練習の主題として「感情の動き」を育てています。
ダンスにおいても、その基盤となるトレーニングにおいても、このことは決定的な要素です。
「感情の動き」とは、自らの感情放出ではなく、むしろ「感情を反映する動き」。
瞬間瞬間に動く気分や意識の明暗を、可能な限り豊かに、身体とりわけ体幹部に反映させていこうという練習です。
心身ともに「素直になる」ための練習とも言えます。
ベースになるのは「ゆるんで」立つこと。
「ゆるむ」とは、ぼ~っと力を抜いている状態ではありません。
力を抜きつつも、血の流れ、呼吸の流れ、神経の流れをとどこおりなく味わっている状態です。
僕らの体は、流れ続けています。周囲も流れ続けています。
内部と外部の流れを存分に「受け入れ」て活発に「運動しながら」、僕らは何かを感じていると実感します。
それらを感じにくい部分が「こわばり」です。顔の表情と同じで、こわばっていては、何も受け入れることができません。
顔面と体全体は常に照応しています。まずは、自分の顔を意識してみます。生き生きと変化をしているでしょうか・・・。
顔の力が抜けてくると、ダンスも変化してきます。
話はそれますが、以前、なんとなく好きだと思っていた異性と別れたとたんに顔の力が抜け、水を得た魚のように動けるようになった、という人がいて、とても興味深く思った事があります。視野が急に開けたというのです。
僕自身は、20代の頃なんとなく好きでやっていたアルバイトを辞めて、同様の体験をしたことがありました。実は「好きになろうと努力していた」だけで、そのことが負担になっていたみたいです。
食べ物も同様。本当に体が求めているものを食べていると、舌が敏感になり、内蔵も筋肉も活発になるそうです。
いろんなことを抱え込んでいると、知らず知らずストレスがたまり、それを感じていると耐えきれないので、感性を鈍くして防御する。
結果、心身ともにこわばりが生ずる、という仕掛けなんですね。
「感情」ゆたかな動きは、大きく、堂々として迷い無く見えます。
「力を抜く」ことが、雑念を取り払う稽古もになるのでしょう。
それを突き詰めていくと、物事に接する態度や、生活習慣・コミュニケーション習慣にも及んでいきます。
「思い込み」と「感じること」の違いがハッキリしてくるのです。
「思い込み」は体に命令しますが、「感じること」は体に反映されるのみで無理がありません。
感情を身体に反映させる事に慣れていくと、自分の内面が、いかに変化に富んでいるかが分かってきます。
そして、環境との関係の中で生かされ、自らも環境に働きかけているという、「あたりまえ」の事に改めて驚きます。
豊かな呼吸と環境への好奇心、適度な空腹や渇望感、確かな自立感。それらが、感情の通った身体へと僕らを導くと思います。
深い眠りから覚めて、気持ちのよい空気を浴びる瞬間みたいな感じです。
何度も稽古して、生活も変わっていくうちに、そんな感覚が出てきます。
「感じる」って、向かい合った人や音やものごとから、何かを受け取る事です。
「動く」って、受け取ったものを再び還すことです。
植物が、光を感じることで酸素を生み出すように、僕らは印象を感じることでイメージを生み出します。
たえず新しいイメージを生み出す身体は、それを見つめる精神に柔軟さを与えると僕は思っています。
ダンスは、柔らかいからだをつくるというよりも、素直なからだに向かう努力を通して、精神や生活を柔らかくするんじゃないでしょうか・・・。
(個別のクラスについても、また書きます!)
クラス紹介&参加方法