ライブ、、、!
あのとき、あの舞台を観ていなかったら。
と思うことがある。
何年も、なかには30年以上も前に、ふと興味を抱いて足を運んだ劇場での出来事が心のなかで膨らんで、人生にとって貴重な杖となっていることが、最近ひんぱんに自覚される。
レナード・バーンスタインのマーラーチクルスでの臨界点を超えるようなオケの鳴り、タデウシュ・カントルの演劇『死の教室』で感じた言葉なき言葉が生み出される瞬間、シュトックハウゼンの最後のコンサートで起きた絶対的静寂とも言うべき幕切れ、、、。
それらは形式では舞踊でないが、僕には、これぞオドリの瞬間、としか思えない揺さぶりの記憶になっている。
いづれも、その場に居ることでしか、感じることができなかった感覚だ。
朧気な記憶には、誰が踊っていたかさえわからないスワンレイクがある。時折脳裏をよぎる場面を母に話したとき、ああそれは幼稚園のときに連れて行ったバレエでしょ、と言われて古ぼけたLPレコードを見せられた。あのあとアンタこればかり聴いて、真似して遊んでたのよというそれはストコフスキーとニューハルモニアオケの少し変わった組曲だった。もし、それを観てなかったら後にダンスに手を出したかどうか。
いつか見たいと願っていた絵画や彫刻と出会った感情も格別だが、それとはまた少し違う、大袈裟に言えば歴史に遭遇したような事件感覚が、ライブパフォーマンスにはある。そしてその訪れは、世評や規模とは全く無関係に訪れる。数名しか客がいない音楽会で、ホームパーティーのようなささやかな詩人の朗読会で、極上のトリップを味わった記憶は多々あり、先に書いた大物の体験にヒケをとらないまま心が震え続けている。
ウワッと息を止めたような瞬間のあと、もうさっきのアレは二度と見れないんだよなぁ、という感覚と同時に、イマ確かに観たぞという実感が、網膜のとらえた像とともに心に焼き付けられ、時を経ていつしか言いようのないエネルギーに膨らんでゆく。一期一会のそれは、ライブパフォーマンスに立ち会った者だけの特別な陶酔だと思う。その瞬間を求めて僕は観客席へのアンテナを張る。その瞬間を味わってもらいたくて稽古し企画し踊る。
パフォーマーは、何かを作る人、というよりも、何かを起こす人だ。表現者、というよりも、原因者、というべきか。踊り手、という存在に要請されるのは、そんな、火種のような力なのかもしれない。
終えたソロの検証を進めながら、私にとって舞台とは踊りとはパフォーマンスとはライブとは、と、問いが溢れる。早く次を、と思い走りながら。
あのとき、あの舞台を観ていなかったら。
と思うことがある。
何年も、なかには30年以上も前に、ふと興味を抱いて足を運んだ劇場での出来事が心のなかで膨らんで、人生にとって貴重な杖となっていることが、最近ひんぱんに自覚される。
レナード・バーンスタインのマーラーチクルスでの臨界点を超えるようなオケの鳴り、タデウシュ・カントルの演劇『死の教室』で感じた言葉なき言葉が生み出される瞬間、シュトックハウゼンの最後のコンサートで起きた絶対的静寂とも言うべき幕切れ、、、。
それらは形式では舞踊でないが、僕には、これぞオドリの瞬間、としか思えない揺さぶりの記憶になっている。
いづれも、その場に居ることでしか、感じることができなかった感覚だ。
朧気な記憶には、誰が踊っていたかさえわからないスワンレイクがある。時折脳裏をよぎる場面を母に話したとき、ああそれは幼稚園のときに連れて行ったバレエでしょ、と言われて古ぼけたLPレコードを見せられた。あのあとアンタこればかり聴いて、真似して遊んでたのよというそれはストコフスキーとニューハルモニアオケの少し変わった組曲だった。もし、それを観てなかったら後にダンスに手を出したかどうか。
いつか見たいと願っていた絵画や彫刻と出会った感情も格別だが、それとはまた少し違う、大袈裟に言えば歴史に遭遇したような事件感覚が、ライブパフォーマンスにはある。そしてその訪れは、世評や規模とは全く無関係に訪れる。数名しか客がいない音楽会で、ホームパーティーのようなささやかな詩人の朗読会で、極上のトリップを味わった記憶は多々あり、先に書いた大物の体験にヒケをとらないまま心が震え続けている。
ウワッと息を止めたような瞬間のあと、もうさっきのアレは二度と見れないんだよなぁ、という感覚と同時に、イマ確かに観たぞという実感が、網膜のとらえた像とともに心に焼き付けられ、時を経ていつしか言いようのないエネルギーに膨らんでゆく。一期一会のそれは、ライブパフォーマンスに立ち会った者だけの特別な陶酔だと思う。その瞬間を求めて僕は観客席へのアンテナを張る。その瞬間を味わってもらいたくて稽古し企画し踊る。
パフォーマーは、何かを作る人、というよりも、何かを起こす人だ。表現者、というよりも、原因者、というべきか。踊り手、という存在に要請されるのは、そんな、火種のような力なのかもしれない。
終えたソロの検証を進めながら、私にとって舞台とは踊りとはパフォーマンスとはライブとは、と、問いが溢れる。早く次を、と思い走りながら。