リハーサルを一日切って、無音無構成の即興稽古をした。
カタチになってきたものがあると、一回壊して、やり直したくなる。
まるく収まったものを人様に差し出したくない。ライブなのだから。
たまたまだが、台風がきた。そして走り去っていった。
昨夜は、突き抜けるように夜空は拡がっていた。
残風が、まだボーボーと鳴って、月はギラギラしていた。その光線が強いからか、いつもより雲が鋭いエッジを闇に刻んで、空は平面に見えた。
荒ぶる何かが通過すると、そのあとにはいつも冴え渡る静かさが姿を現す。
以前の公演チラシに引用された覚え書きがある。
〈いまでは、想像のなかにしか存在しない光景だが、 古いキリスト教の世界には「ヘシュキア」というものがあって、これは身体を激しく動かすことで雑念を払い除け、世俗の心配事をいったん心から取り除いて、神様と一体になるというものだった。神様とは、普遍の原理のことだとすれば、これは、自分の生命の声をキキ直して、いろんなモノコトを受け入れなおしてみるということに思える。教会の深い闇は、かすかな光を鋭く明るくする。沈黙は、かすかな音を正確に捉えて長い残響に還す。そのようななかで行なわれた「ヘシュキア」とは、いかに美しい光景だったか、計り知れない。〉
この一文は、フランスの小さな街で当時思案していた踊りのためにメモしたのだけれど、それから一年ほど経って、いま取り組んでいる『ひかり-not here』の舞台作業に、より一層つよく、はたらきかけている。
激しい動きに集中することによって訪れてくる、静かさ。
それは、去来するものに向き合い直す停止点であり、同時に、新しい始まりを迎える白紙の出発点でもある。
振り、揺さぶり、発熱すること。その渦中で、日常の雑感が、瘡蓋を剥がすように取り払われてゆく。
もっと動きたくとも、身体が自動停止のように、
グラリと止まって、しかし倒れるわけでもなく、ただただ突っ立っている一瞬。
そんな瞬間、全ての言葉も音楽も、消える。
そこに日常では認識しにくい何か大事な感覚の拡がりがあるのでは、と、思う。
櫻井郁也・公演サイト
カタチになってきたものがあると、一回壊して、やり直したくなる。
まるく収まったものを人様に差し出したくない。ライブなのだから。
たまたまだが、台風がきた。そして走り去っていった。
昨夜は、突き抜けるように夜空は拡がっていた。
残風が、まだボーボーと鳴って、月はギラギラしていた。その光線が強いからか、いつもより雲が鋭いエッジを闇に刻んで、空は平面に見えた。
荒ぶる何かが通過すると、そのあとにはいつも冴え渡る静かさが姿を現す。
以前の公演チラシに引用された覚え書きがある。
〈いまでは、想像のなかにしか存在しない光景だが、 古いキリスト教の世界には「ヘシュキア」というものがあって、これは身体を激しく動かすことで雑念を払い除け、世俗の心配事をいったん心から取り除いて、神様と一体になるというものだった。神様とは、普遍の原理のことだとすれば、これは、自分の生命の声をキキ直して、いろんなモノコトを受け入れなおしてみるということに思える。教会の深い闇は、かすかな光を鋭く明るくする。沈黙は、かすかな音を正確に捉えて長い残響に還す。そのようななかで行なわれた「ヘシュキア」とは、いかに美しい光景だったか、計り知れない。〉
この一文は、フランスの小さな街で当時思案していた踊りのためにメモしたのだけれど、それから一年ほど経って、いま取り組んでいる『ひかり-not here』の舞台作業に、より一層つよく、はたらきかけている。
激しい動きに集中することによって訪れてくる、静かさ。
それは、去来するものに向き合い直す停止点であり、同時に、新しい始まりを迎える白紙の出発点でもある。
振り、揺さぶり、発熱すること。その渦中で、日常の雑感が、瘡蓋を剥がすように取り払われてゆく。
もっと動きたくとも、身体が自動停止のように、
グラリと止まって、しかし倒れるわけでもなく、ただただ突っ立っている一瞬。
そんな瞬間、全ての言葉も音楽も、消える。
そこに日常では認識しにくい何か大事な感覚の拡がりがあるのでは、と、思う。
櫻井郁也・公演サイト