世界の始めには光があったのか、果てなき暗黒に響く音があったのか、
それとも、有る無しの認識を超えた何かがあったのか。
僕にはとてもわからないけれど、なぜかな、何歳になっても始原への興味が消えない。
もしかすると、いつか逝くその瞬間まで、わからないままに「始まり」なるものへの想像は続くのかもしれない。
クラスで振り付けている作品のなかに、リグ・ヴェーダの冒頭を踊るものがある。
「そのとき、無もなく、有もなかった。」
この一言に始まるテキストを何度も繰り返し読んでは踊る。
身を振り、あれこれ想像膨らむままに、ない、とは何か、ある、とは何か。そんなことを思う。
「そのとき、死もなく不死もなかった。」
僕らは今、生きてある。しかし、誕生の前には、僕らは無かったのか、死の次の瞬間、僕らは本当に無くなるんだろうか。
それとも無という別の世界に行って、ない、という別の何かに結ばれてゆくのだろうか。
漆黒の闇にも無を感じるし、眩い白にも無を感じる。
しかし、無といっても黒の内部の無と白から放たれる無とは何か別々のもののように感じてしまう。
吸い込まれてどこまでも連れて行かれるような無の感覚もあれば、ぼやけ薄らぎ消えてゆくような無の感覚もある。
無と言っても様々な感じがする。
無といえば、ゼロという無もある。
アラビア数字のゼロは丸い。丸い輪郭のなかに白い空虚。
「0」。その数字の形は、屹立するような「1」とも有機的にくねる「2」とも
違って様々な見え方がする。
皆既日食の輪のようでもある。
静かな器のようでもある。
卵のようでもある。
命の到来を待つ卵の形。
母型というのだろうか。
無というものから、広い限りない想像が膨らむ。
さらに、
「無さえ無い」となると、それはもう、、、。
それとも、有る無しの認識を超えた何かがあったのか。
僕にはとてもわからないけれど、なぜかな、何歳になっても始原への興味が消えない。
もしかすると、いつか逝くその瞬間まで、わからないままに「始まり」なるものへの想像は続くのかもしれない。
クラスで振り付けている作品のなかに、リグ・ヴェーダの冒頭を踊るものがある。
「そのとき、無もなく、有もなかった。」
この一言に始まるテキストを何度も繰り返し読んでは踊る。
身を振り、あれこれ想像膨らむままに、ない、とは何か、ある、とは何か。そんなことを思う。
「そのとき、死もなく不死もなかった。」
僕らは今、生きてある。しかし、誕生の前には、僕らは無かったのか、死の次の瞬間、僕らは本当に無くなるんだろうか。
それとも無という別の世界に行って、ない、という別の何かに結ばれてゆくのだろうか。
漆黒の闇にも無を感じるし、眩い白にも無を感じる。
しかし、無といっても黒の内部の無と白から放たれる無とは何か別々のもののように感じてしまう。
吸い込まれてどこまでも連れて行かれるような無の感覚もあれば、ぼやけ薄らぎ消えてゆくような無の感覚もある。
無と言っても様々な感じがする。
無といえば、ゼロという無もある。
アラビア数字のゼロは丸い。丸い輪郭のなかに白い空虚。
「0」。その数字の形は、屹立するような「1」とも有機的にくねる「2」とも
違って様々な見え方がする。
皆既日食の輪のようでもある。
静かな器のようでもある。
卵のようでもある。
命の到来を待つ卵の形。
母型というのだろうか。
無というものから、広い限りない想像が膨らむ。
さらに、
「無さえ無い」となると、それはもう、、、。