前のお正月が遠い昔のように思えるのに、2月あたりからの急速な変化は昨日のことのように感じてしまい、複雑な気持ちです。
そして、活動が制限されたなかで、仕事や生活の心配ゆえにどんどん深刻な気持ちになる反面、読んだ本の記憶もまた、非常に独特です。
前にも書きましたアーレントのほか、カミュとサルトルの激烈な対話や、オルテガ、あるいはバクーニンなど、やはり、この状況のなかで読みたくなった本には深刻に現実と対峙するようなものが多く、激変期に生きた人々の思索に杖を探そうとするような読書になりがちだったのですが、これらとは別に、古いものをじっくり読み直す気持ちにもなったのも久々のことでした。
最近では、「アポクリファ」のいくつかの文書に、あらためて刺激を受けました。アポクリファというのは「隠されたもの」という意味ですが、具体的には、何かしらの理由で「聖書」に取り入れられなかった文書のことで、そこには、昔の人のさまざまな智慧や心の動きが、書き留められているのです。たとえば、その一部であるヨハネ行伝には「劇場」についての言及があり、「真実を知りたければ劇場に行け」というようなことが書かれているのですが、この言葉に、僕はあらためて興味を持ちました。神殿でも教会でも寺院でもなく「劇場」という場所に重きを置く一言は、やはり、非常に深い意味があるのではないかと思いました。
支配的な力の流れは、他者との差異を意識するよりも他者を理解し同調することを推奨します。また、個に対して、私は何者か、ということを自己規定させ、それによって柔らかく自由を制限してゆくようにも思えます。
しかし、劇場という場所には、別の力の流れが発生しやすい特徴があります。同じ場所で、非常に多様な「生身の」人間が舞台と客席で向き合い、異質な感性が入れ替わり立ち替わり異なる表現や思考や感情生活を力いっぱいにするのです。
そこは、感動と幻滅が常に共存する場所であり、精密さとハプニングが同居する場所であり、そこは、共感ばかりでなく、反感をおぼえるものや理解を超えるものさえもが、しばしば現れるカオス的な「未定の場所」です。
だから、そこでの経験は、日常には無い感覚を覚醒させたり、心を震わせたり乱れさせたりする、独特のものになります。そして、決めつけた自己を「解体」したり、他者(異なる人)との「差異」を再認識したりする場所にもなります。
そのような場所にこそ「真実」があるという言葉は、僕には、とても力のある言葉に思えました。
長大な文書のなかのごく短い一節が、とても動的な力を与えてくれたのは、やはり「書物なるもの」の良さだと思いました。
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