身も心もそんなに思うようにならないということを稽古ではよく思いしる。ダンスは子育てにも似ている。当たり前なのかもしれないが、毎日の色々なことが稽古のなかで決まっている感じがある。稽古ではいろいろな情報から自立して自分の身体で思考するしかないからだろう。脳ミソは踊っているときに特有な働きかたをするのだろうか。
つぎの作品のことや今夜のレッスンの中身が稽古によって決まるのは当たり前すぎるが、もっと根深いこと、睡眠やら食やら含めた生活の出来事の質が決まってくる感じも、少しある。
手本も答えもないのに、ダンスは、不思議なほど一回一回に良いものは良いダメなものはダメ、とハッキリわかるから、その日の稽古が良いかダメかで神経の状態から考えだけでなく睡眠の中身まで変わるのだろう。
稽古は経験からの脱出かもしれなくて、いつか何か分かってゆくだろう、というスピード感ではなく、その瞬間のうっという感じだけで毎日毎日が決まってゆく。自分を壊す感じもなくはないが、その良し悪しは未だわからない。自分とは変化だから、わからない。稽古の量が変化の量でもあるのだろう。
ダンスには限られた空間と時間しかないから全ては素早くないといけない。速度になりたいと思うことが、よくある。
※日記引用:2017
つぎの作品のことや今夜のレッスンの中身が稽古によって決まるのは当たり前すぎるが、もっと根深いこと、睡眠やら食やら含めた生活の出来事の質が決まってくる感じも、少しある。
手本も答えもないのに、ダンスは、不思議なほど一回一回に良いものは良いダメなものはダメ、とハッキリわかるから、その日の稽古が良いかダメかで神経の状態から考えだけでなく睡眠の中身まで変わるのだろう。
稽古は経験からの脱出かもしれなくて、いつか何か分かってゆくだろう、というスピード感ではなく、その瞬間のうっという感じだけで毎日毎日が決まってゆく。自分を壊す感じもなくはないが、その良し悪しは未だわからない。自分とは変化だから、わからない。稽古の量が変化の量でもあるのだろう。
ダンスには限られた空間と時間しかないから全ては素早くないといけない。速度になりたいと思うことが、よくある。
※日記引用:2017