夜というのはいったい何色なのだろうか。
数日前、石神井公園で体を動かしていたら、赤い月が見えているのに霧のような雨が降ったり止んだり、肌が濡れた。
きょうは雨のち曇りだったが、夏が遠ざかるなあ、と思いながら上を見ると、ハッキリではないけれど薄く広い雲のある部分がぼんやりと白んでいて、月が己の所在地を示しているようだ。
同じ夜を過ごすのでも、夏は星、秋は月、なのだろうか。
惹かれる天体も変わるが、季節と一緒に夜の色が変わってゆくのも感じる。
感じながら、ところで、夜というのはいったい何色なのだろうか。とも思う。
奥へ奥へと誘いかけるような深い色、夜色。
夜を見る、夜に見られている。
(絵に例えたら、マーク・ロスコの描き続けた絵の連続を眺めているような気分にも近いのかしら。
ロスコが心を込めて深く深く塗り重ねた色彩は、すでに何色ということも出来ないほど独特になっていて、その前に佇んでいると、まるで人間を包み込む夜のオーラに向き合っているようにも、僕は感じるのだけど、、、)
簡単には形容しづらい夜の色、そのゆっくりとした変化は、心の底に、色々な色が眠っているのがほどけて空に映写されているような錯覚をおこす。夜の色はその底から何か呟きを漏らしてくるみたい。
移ろいのなかに、いる。
こんな季節になると、なぜかな、古い怪奇譚の類いを読みたくなり、ありったけ床に積む。
ラフカディオ・ハーンの怪談、雨月に宇治拾遺、泉鏡花、中国の聊斎志異もいい。いずれも短い話の集まりだが、夜風に当たりながら今夜はどれにしようかな、と、一話読んだ余韻が夜の色が発する呟きに溶けて雲や月や闇の風情を増してくれるように思う。
最近の恐怖譚はリアルな仕立てで怖さの中に人間の恐ろしさが引き立つものが多いように思うが、昔の人が書いた怪奇譚は、少し怖くて少し不可思議で、ウソのようで少しホントにありそうな、でも洒落た文体で語る短いお話が沢山ある。
そんな話を古人は溜息が出るような美しい言葉や少し華やかな色や匂いで綴る。
幽霊と悲恋、変人奇人の滑稽と憂愁、、、。怖さが人間の哀歓や滑稽に重なるような。
この世とあの世の境目をふと思いながら読んでいると、目の前にある夜が広くなってゆくようだし、もっと不思議なのは、生死や虚実の境目を幻想するうちに何だかエロチックな感覚が芽生えてくることだ。
踊りでも、お能などやはり怪奇な話が底にあるし、西洋のバレエだってジゼルにせよ白鳥にせよ妖精や幻が大事にされていて、それを飛び切り美しく舞う姿を夜の帳が下りる頃に眺める。
あれは何でだろう。
昼の生活から眠りの夢に移ろう境目に、異界の存在とか美の世界に触れてみる。
夜、書物、舞、絵、、、。つかの間の、あわいの、ひとりの、心の旅の。
数日前、石神井公園で体を動かしていたら、赤い月が見えているのに霧のような雨が降ったり止んだり、肌が濡れた。
きょうは雨のち曇りだったが、夏が遠ざかるなあ、と思いながら上を見ると、ハッキリではないけれど薄く広い雲のある部分がぼんやりと白んでいて、月が己の所在地を示しているようだ。
同じ夜を過ごすのでも、夏は星、秋は月、なのだろうか。
惹かれる天体も変わるが、季節と一緒に夜の色が変わってゆくのも感じる。
感じながら、ところで、夜というのはいったい何色なのだろうか。とも思う。
奥へ奥へと誘いかけるような深い色、夜色。
夜を見る、夜に見られている。
(絵に例えたら、マーク・ロスコの描き続けた絵の連続を眺めているような気分にも近いのかしら。
ロスコが心を込めて深く深く塗り重ねた色彩は、すでに何色ということも出来ないほど独特になっていて、その前に佇んでいると、まるで人間を包み込む夜のオーラに向き合っているようにも、僕は感じるのだけど、、、)
簡単には形容しづらい夜の色、そのゆっくりとした変化は、心の底に、色々な色が眠っているのがほどけて空に映写されているような錯覚をおこす。夜の色はその底から何か呟きを漏らしてくるみたい。
移ろいのなかに、いる。
こんな季節になると、なぜかな、古い怪奇譚の類いを読みたくなり、ありったけ床に積む。
ラフカディオ・ハーンの怪談、雨月に宇治拾遺、泉鏡花、中国の聊斎志異もいい。いずれも短い話の集まりだが、夜風に当たりながら今夜はどれにしようかな、と、一話読んだ余韻が夜の色が発する呟きに溶けて雲や月や闇の風情を増してくれるように思う。
最近の恐怖譚はリアルな仕立てで怖さの中に人間の恐ろしさが引き立つものが多いように思うが、昔の人が書いた怪奇譚は、少し怖くて少し不可思議で、ウソのようで少しホントにありそうな、でも洒落た文体で語る短いお話が沢山ある。
そんな話を古人は溜息が出るような美しい言葉や少し華やかな色や匂いで綴る。
幽霊と悲恋、変人奇人の滑稽と憂愁、、、。怖さが人間の哀歓や滑稽に重なるような。
この世とあの世の境目をふと思いながら読んでいると、目の前にある夜が広くなってゆくようだし、もっと不思議なのは、生死や虚実の境目を幻想するうちに何だかエロチックな感覚が芽生えてくることだ。
踊りでも、お能などやはり怪奇な話が底にあるし、西洋のバレエだってジゼルにせよ白鳥にせよ妖精や幻が大事にされていて、それを飛び切り美しく舞う姿を夜の帳が下りる頃に眺める。
あれは何でだろう。
昼の生活から眠りの夢に移ろう境目に、異界の存在とか美の世界に触れてみる。
夜、書物、舞、絵、、、。つかの間の、あわいの、ひとりの、心の旅の。