朝日新聞のコラムから選ばれたものをまとめた本です。
新聞に掲載されているたびに見ているワケではないのですが、
たまに目にとまります。
子どもたちの、ちょっとした“つぶやき”を
大人が書きとめて(覚えて)いたものが投稿されています。
子どもらしい“つぶやき”が多く、
「思わずクスッと笑っちゃう」ことが多いです。
しかし、実は“明らかに大人の脚色が入っている”と
思うものも少なくありません。
でも私は判るのです。
決して面白おかしくしようとした悪意ではないし、
子供の言葉も創作されたものではないことを。
というのは、子どもとの生活の中の一瞬で、
すごく面白い?、というか新鮮な?、ことがあるのですが、
その時の雰囲気とか、ニュアンスとかがあって、
文章にすると、ちんぷんかんぷんなこともあるのです。
でも、何とかコラム「あのね」で伝えたいと思う大人は、
伝わるように“作って”しまうのですよね。
以前、娘が3歳の頃、二人で話をしていて、
「ピンとこないでしょ?」
と私が言ったときに
その場ではなくて、会話がすべて終わってから、
「お父さん、『ピントコ』ってなーに?」
と聞かれたことがありました。 (←“ピントコ”ない)
例えば、これをこの「あのね」に投稿しようとすると
「ピンとこない」に娘がすぐ「ピントコって何?」と
質問したようにしないと、コラム的にまとまりません。
ここで前述の“作り”が入っちゃうのですねえ。
上記のことは、本当に投稿しようとして、
短くまとめようと考えているうちに
何だかウソくさく見えてきちゃったので投稿をやめたのですが、
実際にあった娘とのやりとりでした。
きっと多分に、そういうものが混じっているだろうと思うのです。
すみませーん、余計な詮索をしてますが、
そんな、ちょっとした“作り”を差し引いても
子どものつぶやき、楽しいですし、ホロッとすることもあります。
私の心の琴線に触れたもの、たくさんありますが
その中のひとつ…
5歳の男の子の言葉。
「父の転勤で他県へ引っ越した。布団の中でこっそりと、
『おとうさん 会社で 新しいともだち できた?』」
このお父さんは、バリバリ前向きなら
息子に向かって「おー、たくさんできたぞー」と答えたでしょうし、
不本意な転勤なら、ホロッとしながら「ありがとね」と答えたでしょう。
他愛ない子どものひとことで、助けられることもあります。
今の私が、そういうことが多いので
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