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コツコツと60代を突き進んでおります

胸を打たれた朝…天声人語より

2012-07-09 22:13:54 | 日々のあれこれ

ウチは、朝日新聞をとっています。

今は昔、
一人暮らしを始めたころ、
たしか2番目に勧誘にきたのです。

1番目は、
自分のところだけ“軍”なんて言いやがる
大嫌いな野球チームの親会社だったので、
もちろんパスしました。

ま、そこ以外だったら、
M新聞でも、S新聞でもよかったのですが、
結局、朝日新聞をそのまま
今でも読んでいるわけです。


で、朝日新聞の一面には
ご存知、「天声人語」というコラムがあり、
時事的な内容に触れることもあり、
季節を感じさせる内容もあり、
重くもなく、さりとて軽々しくもなく、
時に読み応えもあるものです。


さて、
その天声人語で、
もう3週間ほど経ってしまいましたが、
朝から“勝手に(^_^;)”ウルウルする
そんなことが書かれていました。

6/20の朝に掲載されたもので、
その4、5日前に
6歳未満の男の子が
脳死と判定され、
臓器移植がされたことについてでした。

6/20天声人語より (適宜改行しています)

「ひとだすけ」の言葉を知っていたろうか。
思わぬ事故で横たわる小さな体から、温かい臓器が摘出された。

他の命を救う大仕事を終えたその顔に、
父母は涙をためて、穏やかな笑みを投げかけたそうだ。

富山大学付属病院で6歳に満たぬ男児が脳死となり、移植のために臓器が供された。
この年齢の子どもからは国内初の提供だ。
心臓と肝臓はそれぞれ10歳未満の女児2人に移植された。

若い脳は回復力が強く、脳死の判定は慎重を要する。
虐待の跡がないのを確かめ、最初の判定から丸一日あけて再判定する。

幼児間の臓器移植が日本でも定着すれば、費用や体力面で負担が大きい
「渡航移植」に頼らずにすむ。

悲嘆の底で重い決断をしたご両親は「息子を誇りに思う」と記した。

男の子は、同世代の女児の体内で「生き」続ける。
臓器を取り換えた彼女たちは、やがて恋をし、母にもなろう。
人生の山谷(やまたに)が続く限り、坊やはその営みを、裏方で支えることになる。

「昨日と今日は、偶然並んでいただけでした。今日と明日は、突然並んでいるのでした。
だから明日の無い時もあるのです」。
飛行機事故で亡くなった坂本九さんに、永六輔さんが手向けた言葉だ。

偶然並んだ毎日には、不慮の悲しみも突然の幸(さち)もある。
気まぐれに置かれた飛び石を曲芸のように渡り、命は明日へとつながる。

わんぱく盛りの心臓と、汚れなき肝臓をもらい、少女たちは未来に歩み出した。
会ったことも会うこともない恩人と、二人三脚の日々が待つ。


私の心に「うっ」と響いたのは、
実は「息子を誇りに思う」というご両親の言葉でした。


この天声人語、
ずっと気になっていて、
やっぱりこのブログに書こうと思い、
ネットで検索していたら、
多くの方がブログやツイッターで、
話題にしていました。


「感動した」という方もあれば、
「“ひとだすけ”とは違う」とか、
「飛行機事故の弔文を引き合いに出すな」とか、
「“虐待の跡”云々はいらない」
と言われる方もありました。


たしかに、
手放しで「脳死判定」や「臓器移植」を
肯定するだけの文章ならば、
いろいろな意見があるでしょう。

でも、
最愛の“息子”を失ったご両親が、
それでも、
“誰かの役に立つなら”と決断された。

そして、
“息子”が、
その誰かの未来のために、
その誰かの未来とともに、
生きていく。

切なく、悲しく、
でも、
“お前が生まれてきた意味”は
あるんだよ、という想い。

例え“その子自身の意志”ではなくても
人間がこの世に生まれてきた意味、
という視点で考えれば、
この文章も素直に受け取ることができます。


ご両親からのコメントは以下のようです。

「息子が誰かの体の一部となって生きてくれる。
息子を誇りに思う」

まさしく、このコメントを膨らませた、
天声人語だったわけですから。


たしかに自分の子供が、
例え脳死と判定されるようなことがあっても、
こんな決断はできるだろうか。
いや、決断できないし、
子供の身体の一部を提供するなんて、
その考えにすら至らないだろう。


そもそも順番として、
親が先に逝くはずなのだから。


事件、事故で、
小さい子供が亡くなるたびに
切なくなっているワタシですから、
余計に心に響いたのかしらん…。


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