重松清さんは、好きな作家の一人です。
子供の視点、親の視点で
主に家族を描いています。
多分、私が重松さんと同世代だからだと思うのですが、
親になったことで、家族を支えていく大変さや、子供との関係、
そして、子供時代に誰もが経験してきた日々の出来事。
重松さんのどの作品にも
それらが切なく、懐かしく、優しく描かれています。
最近文庫版の出版された、
この「小学五年生」は、
全て、五年生の男の子の視点で描かれています。
ごく短い小説がたくさん収録されており、
ちょっとしたエピソード的な小編で構成されています。
いろいろな境遇、考え方の子供たち。
何だか、自分が小学生だった頃を想い出して、
ウルウルしてしまったことも多いです。
もちろん、同じような経験ばかりではないけれど、
「あ、アイツはこんなヤツだったな」
とか、当時の友達そのものや、
友達との付き合いに当てはめたりして…。
なかでも、その中の一編「ケンタのたそがれ」は、
「頑張れ」と声をかけてあげたくなるものでした。
父親が死んで、お母さんが働きに出てしまい、
ひとりぼっちの時間が多くなったケンタ。
つまらないので、下級生相手にえばったり、
つっぱってみますが、本当はつまらなくて淋しくて仕方ない。
でも、ちょっとしたことがきっかけで、
お父さんが見てくれている気持ちになって、
お母さんを喜ばせたくなる。
そんなお話しです。
こんな気持ち、なかなか描けません。
先生や友だちの誰かにはげまされる、という物語ではなく、
自分の中のやるせない想いを、
自分の中で何かを感じて乗り越える(というほど大げさではないけど)。
きっと、そんな些細なことは、
五年生じゃなくてもみんな経験しているし、
生きていく中で、忘れてしまっていることも多いはずだけど、
そんな切ないことを文章にできるって、すごいな、と思いました。
がんばれ…
そう、この「がんばれ」という言葉。
何かに打ち込んでいるとき、
あることに集中して、文字通り“頑張って”いる時には
「頑張って」と言われると
「もう頑張ってらい」とか
「プレッシャーになる」とか
あえて「頑張って」なんて言われたくない時もあるけど…。
私は…
「がんばって」
と言われることが嫌いではないです。
いや、どちらかと言えば、言ってほしいかも。
それは、目の前で何かに打ち込んでいる人に
プレッシャーをかけるような言葉ではないはずです。
私は、
「頑張って」
という言葉には、
「“何か”にもっと気合いを入れなさい」
という意味ではなく、
「いつも、あなたのことを見ているよ」
という気持ちを感じます。
他人に言うときも、
その気持ちを込めているつもりです。
そして、
だから、
いつも
「がんばれ、自分!」
「フレーフレー、自分!」
と思っています。
自分のことをよく知っている、
自分くらいは、
自分の“頑張り”を認めてあげなくちゃ、ね。
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