祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

師父が逝ってしまわれた。

2014-08-30 00:34:15 | 歴史・文化・芸術・人物
師父が逝ってしまわれた。
投稿者:袁天輝 投稿日:2012年 2月16日(木)21時49分32秒
返信・引用

王映海師父が2月14日13:40食道がんのため自宅にて御逝去された。
生前の師父の様々な功績を忍び、人柄から溢れ出るさまざまな厚情に感謝し、哀悼の意を表します。
 今はただ、悲しみが溢れ出し、言葉も表しようがなく、気持ちが音を立てて崩れてしまう自分を抑えきれないでいます。
 以下に私が2週間ほど前に、見舞いに行った時の様子を記したものを引用します。


【師父見舞記】

1月27日から30日まで山西省祁県に、師父のお見舞いに行ってきた。宿泊は、どこか近くにホテルを取るつもりでいたが、「原田は家族だから」と王喜成老師の御宅に泊めていただいた。王映海師父は、食事が喉を通らないために点滴をされ床に臥しておられた。2日の間、私が何回も看病に行くたびに、常に元気を出して、歓迎してくださった。横になっているそばにいくと、話のほとんどを武術の話をされ戴氏心意拳のこと、伝承などについて語られた。戴氏心意拳の拳理の話になると実際に私の手を取って「このようにするのだ」と何度も何度も確認された。
師父の腕は、軽く重く私が拝師した頃と何も変わりがない。師父は横になって座っている私の手をとっているのに、私の中心はとられバランスを崩してしまう。病気のためにだいぶ痩せられたが、心身はとてもしっかりとされており、私にとっては師父は師父のままであった。
伝承について、
「人心見人心
学戴家是人心感化的、不是買銭」
(戴家の拳を学ぶのことは、人と人の心が交わり、感化していくことであって、金で買えるものではない。)
王映海師父はこの言葉を何度も何度も繰り返され、拳を伝える時に何が大切なのかを諭された。
私たちは、拳ができるのだと、傲慢になってはいけないし、ただ教室に通い、技や理論を学んで、戴家の拳を学んだとは言うのではない。
理論、技術の修得をすると同時に、自分自身の人間性を磨くことと人と人との交わりを大切にする中で、初めて拳を学んでいるということがいえるのだということを改めて確認した。
私が「明日朝早く帰る」ことを伝えると、体を起こし「心意拳をやってみろ」と言われる。私は見舞いにきて、まさか、師父に心意拳を見せるとは思ってもいなかったので驚きだったが、日本での伝承について、真剣に思ってくださっていることを感じ、
丹田功、歩法、棍などを軽動、重動で打った。師父は「それでいい、それでいい。日本に真の戴氏心意拳を伝えるために尽くして欲しい。」と言われ、戴氏心意拳の深さをどのように伝えていていけば良いのかという責任を改めて感じた。
束、抖、(手へん)数、阻、鑽の力学原理について話をされながら、私にもっともっと功を高めて欲しいことを伝えたかったのだろう、座ったままで「このようにするのだ」と全身全霊で発勁を示範してくださる姿は、私の心を打ち、涙を抑えることができなかった。
王映海師父は、長い年月多くの苦労、苦練をされながら、人には優しい眼差しと詳細に渡った細心の指導をしながら、私のみならず、多くの人たちの武術と人生を変え、成長させてきた。
私たちは、師父の意を受け継ぎ、戴氏心意拳を磨き、人生を磨き、互いを磨き高めていかなければならない。
もう一度私たちは、師父が何度も繰り返された、「人心見人心、戴家是人心感化的」という言葉をかみしめながら、もったいぶりの保守でもなく、安っぽい公開でもない、戴家の拳が真に伝えようとしたものが何であったのかを、謙虚にそして真摯に私たちの人生と出会いの中で追求していかなければならない。


王映海師父の思い

2013-05-21 22:39:50 | 歴史・文化・芸術・人物

王映海計画在日本発揚戴氏心意拳

  投稿者:王映海  投稿日:2008年10月15日(水)22時24分55秒

返信・引用

 

 

王映海決定在日本招収品徳高尚的入室弟子,有yuan意拝王映海師父的心意拳愛好者王映海可以正式収大家為徒弟,現在松山心意倶楽部的代表為北西勝海先生、鹿児島中国伝統武術研究会的代表原田恵二先生均為王映海的徒弟,他men正在積極地発揚戴氏心意拳,他men共同都可以在日本伝播戴氏心意拳,品徳高尚的心意拳愛好者以後完全可以拝王映海為師父的。特此通告:王映海2008年10月15日

 


弓歩の発見

2013-05-21 21:36:08 | 歴史・文化・芸術・人物

弓歩の発見3

  投稿日:2008年11月20日(木)15時03分36秒

返信・引用

 

 

地面から踵を離さないというのは重要なのですが、早く動こうとすると雑になってしまうことがおおいですし、腰との関連、けいをつないでいくためには腰を緩め沈める必要があるので余計に踵がうきやすく、脚にけいがうまれにくいですよね

 

 


Re:「弓歩」の発見2

  投稿者:  投稿日:2008年11月17日(月)22時52分3秒

返信・引用

 

 

「勁は踵から生じ、腰を軸と成し、梢に伝える」
おぉ~、何だか同じみたいです(^^)

動きの中で、よく「足裏を畳から離すな」とか「特に踵を浮かせるな」とか「踵から力が生まれる」とか言われます(^^;)
もちろんリキんでいたらダメで、「膝の力を抜くんだ」とか「大腿四頭筋」を使うなとか…

確かに、このあたりの議論をするのは楽しそうですね♪
ただ、僕はまだ出来ていないので、合気道の先生の受け売りでしか話せないのが残念なところです(>_<)

大阪講習会、来年あたりに参加出来そうなんですが…(行けるといいなぁ~)


昔、知り合いが「中国武術の凄いところは、達人を育てるシステムが出来上がっているところ」と言っていたのを思い出しました。

 

 


「弓歩」の発見2

   投稿日:2008年11月17日(月)10時56分4秒

返信・引用

 

 

高さん
こちらこそお久しぶりです。「足から気を生み、身体を通して相手に渡す」というのは、勁は踵から生じ、腰を軸と成し、梢に伝える」といったのと同じようなことに思えますね。そこのところは合気道でも中国武術でも共通するところだと思います。八極などは、弓歩などが割合少なく、異なる原理で勁を発していくので、そこの部分は八極では見えにくいところかもしれません。合気道は、弓歩系の武術と相通じるところが多いかもしれませんね。
ここらあたりのところは、議論するととても楽しいところだと思います。もちろん実技を通して行なえれば最高なのです。(大阪講習会も数ヶ月に一回はまた実施していく予定ですので、よろしかったらいつかご参加下さい。
お仲間がいらっしゃれば、そちらの方に伺うことも可能です。)
 「弓歩の発見」はできれば、詳しく書いていきたいところです。まず、ここで言っている「弓歩の発見」は私が弓歩でこんなことを発見したという意味ではなく、武術史の中で『弓歩というものが発見された」という歴史のパラダイムについてなのです。
 武術史の中で「太極拳」「八極拳」「心意拳」などと門派が出来上がっていく背景には、先ず敵と味方という大前提があり、その中で武術教授システムが生まれていく。個人的な豪傑であれば、様々な時代に戦いさえあれば生まれてくる。しかし、全体的なレベルを上げていくことや達人を再生産していくためのシステムとして武術体系が作られ門派が発生してきたと考えるのが妥当だと思います。
 その達人の再生産のための教授システムのなかで、中国武術が見つけた鍛錬方法が、例えば「たんとう
」「弓歩」(戴氏では虎歩)・・・といった独特の鍛錬方法だったのだと思います。
一旦中断。

 

 


Re:「弓歩」の発見

  投稿者:  投稿日:2008年11月16日(日)22時26分59秒

返信・引用

 

 

お久しぶりです(^^;)

現在、ご縁があって地元で合気道を稽古しているんですが、その先生が同じことを言っていました。
「足から気を生み、身体を通して相手に渡す」
なので、どんなに練習しても、足が出来ていないと技は向上しないそうです。
(まぁ、足が出来ていれば良いのか? という事ではないのですが…)

今、自分が課題にしている内容でもあり、xin-yi先生の書き込みがタイムリーだったので、思わずレスしてしまいました( ̄▽ ̄;)

 

 


「弓歩」の発見

  投稿日:2008年11月15日(土)22時41分8秒

返信・引用

 

 

中国武術が,「弓歩」を練拳システムの中に取り入れていったのはどうしてだろうか?
「弓歩」は中国武術の中に一般的に存在するが、日本の打撃系武道をやっている人や競技武術をやっている人から見るとフットワークに欠け、実践性に乏しいと見られるのではないだろうか。もしかすると素人であっても弓歩は窮屈に感じられるのではないだろうか?
 練拳して行けば、幅の広い「弓歩」は活歩としても可能だが、「弓歩」の役割は、勁を生み出す脚を作っていくためのステップだろう。簡単に即効的に打拳を行なうのであれば、「弓歩」の練習などを行なう必要などない。「弓歩」の役割は、勁を生み出す脚を作っていく等というと、では脚の筋肉を鍛えればよい。と短絡的に考えるのではない。『練武先ず腿力を求む」というような言葉もあるように、腿力は必要だ。しかし、勁というように、全身との協調から生み出されていくところに『弓歩」の意義がある。実は私は、弓歩という歩型からではなく戴氏の虎歩という
動作からこのことに気づかされた。腿で勁力を作り、全身を協調させていくこと、またそれを鍛えていくこと、これらは中国武術が発見した大きな功績だと思う。

 

 


王映海師父を見舞った時のこと

2013-05-06 07:28:06 | 歴史・文化・芸術・人物

師父が逝ってしまわれた。

   投稿日:2012年 2月16日(木)21時49分32秒
返信・引用
 
  王映海師父が2月14日13:40食道がんのため自宅にて御逝去された。
生前の師父の様々な功績を忍び、人柄から溢れ出るさまざまな厚情に感謝し、哀悼の意を表します。
 今はただ、悲しみが溢れ出し、言葉も表しようがなく、気持ちが音を立てて崩れてしまう自分を抑えきれないでいます。
 以下に私が2週間ほど前に、見舞いに行った時の様子を記したものを引用します。


【師父見舞記】

1月27日から30日まで山西省祁県に、師父のお見舞いに行ってきた。宿泊は、どこか近くにホテルを取るつもりでいたが、「原田は家族だから」と王喜成老師の御宅に泊めていただいた。王映海師父は、食事が喉を通らないために点滴をされ床に臥しておられた。2日の間、私が何回も看病に行くたびに、常に元気を出して、歓迎してくださった。横になっているそばにいくと、話のほとんどを武術の話をされ戴氏心意拳のこと、伝承などについて語られた。戴氏心意拳の拳理の話になると実際に私の手を取って「このようにするのだ」と何度も何度も確認された。
師父の腕は、軽く重く私が拝師した頃と何も変わりがない。師父は横になって座っている私の手をとっているのに、私の中心はとられバランスを崩してしまう。病気のためにだいぶ痩せられたが、心身はとてもしっかりとされており、私にとっては師父は師父のままであった。
伝承について、
「人心見人心
学戴家是人心感化的、不是買銭」
(戴家の拳を学ぶのことは、人と人の心が交わり、感化していくことであって、金で買えるものではない。)
王映海師父はこの言葉を何度も何度も繰り返され、拳を伝える時に何が大切なのかを諭された。
私たちは、拳ができるのだと、傲慢になってはいけないし、ただ教室に通い、技や理論を学んで、戴家の拳を学んだとは言うのではない。
理論、技術の修得をすると同時に、自分自身の人間性を磨くことと人と人との交わりを大切にする中で、初めて拳を学んでいるということがいえるのだということを改めて確認した。
私が「明日朝早く帰る」ことを伝えると、体を起こし「心意拳をやってみろ」と言われる。私は見舞いにきて、まさか、師父に心意拳を見せるとは思ってもいなかったので驚きだったが、日本での伝承について、真剣に思ってくださっていることを感じ、
丹田功、歩法、棍などを軽動、重動で打った。師父は「それでいい、それでいい。日本に真の戴氏心意拳を伝えるために尽くして欲しい。」と言われ、戴氏心意拳の深さをどのように伝えていていけば良いのかという責任を改めて感じた。
束、抖、(手へん)数、阻、鑽の力学原理について話をされながら、私にもっともっと功を高めて欲しいことを伝えたかったのだろう、座ったままで「このようにするのだ」と全身全霊で発勁を示範してくださる姿は、私の心を打ち、涙を抑えることができなかった。
王映海師父は、長い年月多くの苦労、苦練をされながら、人には優しい眼差しと詳細に渡った細心の指導をしながら、私のみならず、多くの人たちの武術と人生を変え、成長させてきた。
私たちは、師父の意を受け継ぎ、戴氏心意拳を磨き、人生を磨き、互いを磨き高めていかなければならない。
もう一度私たちは、師父が何度も繰り返された、「人心見人心、戴家是人心感化的」という言葉をかみしめながら、もったいぶりの保守でもなく、安っぽい公開でもない、戴家の拳が真に伝えようとしたものが何であったのかを、謙虚にそして真摯に私たちの人生と出会いの中で追求していかなければならない。