師父が逝ってしまわれた。
投稿者:袁天輝 投稿日:2012年 2月16日(木)21時49分32秒
返信・引用
王映海師父が2月14日13:40食道がんのため自宅にて御逝去された。
生前の師父の様々な功績を忍び、人柄から溢れ出るさまざまな厚情に感謝し、哀悼の意を表します。
今はただ、悲しみが溢れ出し、言葉も表しようがなく、気持ちが音を立てて崩れてしまう自分を抑えきれないでいます。
以下に私が2週間ほど前に、見舞いに行った時の様子を記したものを引用します。
【師父見舞記】
1月27日から30日まで山西省祁県に、師父のお見舞いに行ってきた。宿泊は、どこか近くにホテルを取るつもりでいたが、「原田は家族だから」と王喜成老師の御宅に泊めていただいた。王映海師父は、食事が喉を通らないために点滴をされ床に臥しておられた。2日の間、私が何回も看病に行くたびに、常に元気を出して、歓迎してくださった。横になっているそばにいくと、話のほとんどを武術の話をされ戴氏心意拳のこと、伝承などについて語られた。戴氏心意拳の拳理の話になると実際に私の手を取って「このようにするのだ」と何度も何度も確認された。
師父の腕は、軽く重く私が拝師した頃と何も変わりがない。師父は横になって座っている私の手をとっているのに、私の中心はとられバランスを崩してしまう。病気のためにだいぶ痩せられたが、心身はとてもしっかりとされており、私にとっては師父は師父のままであった。
伝承について、
「人心見人心
学戴家是人心感化的、不是買銭」
(戴家の拳を学ぶのことは、人と人の心が交わり、感化していくことであって、金で買えるものではない。)
王映海師父はこの言葉を何度も何度も繰り返され、拳を伝える時に何が大切なのかを諭された。
私たちは、拳ができるのだと、傲慢になってはいけないし、ただ教室に通い、技や理論を学んで、戴家の拳を学んだとは言うのではない。
理論、技術の修得をすると同時に、自分自身の人間性を磨くことと人と人との交わりを大切にする中で、初めて拳を学んでいるということがいえるのだということを改めて確認した。
私が「明日朝早く帰る」ことを伝えると、体を起こし「心意拳をやってみろ」と言われる。私は見舞いにきて、まさか、師父に心意拳を見せるとは思ってもいなかったので驚きだったが、日本での伝承について、真剣に思ってくださっていることを感じ、
丹田功、歩法、棍などを軽動、重動で打った。師父は「それでいい、それでいい。日本に真の戴氏心意拳を伝えるために尽くして欲しい。」と言われ、戴氏心意拳の深さをどのように伝えていていけば良いのかという責任を改めて感じた。
束、抖、(手へん)数、阻、鑽の力学原理について話をされながら、私にもっともっと功を高めて欲しいことを伝えたかったのだろう、座ったままで「このようにするのだ」と全身全霊で発勁を示範してくださる姿は、私の心を打ち、涙を抑えることができなかった。
王映海師父は、長い年月多くの苦労、苦練をされながら、人には優しい眼差しと詳細に渡った細心の指導をしながら、私のみならず、多くの人たちの武術と人生を変え、成長させてきた。
私たちは、師父の意を受け継ぎ、戴氏心意拳を磨き、人生を磨き、互いを磨き高めていかなければならない。
もう一度私たちは、師父が何度も繰り返された、「人心見人心、戴家是人心感化的」という言葉をかみしめながら、もったいぶりの保守でもなく、安っぽい公開でもない、戴家の拳が真に伝えようとしたものが何であったのかを、謙虚にそして真摯に私たちの人生と出会いの中で追求していかなければならない。