祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

身体の記憶

2013-03-31 19:03:14 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系

身体の記憶

    投稿日:2011年 6月16日(木)20時35分23秒

返信・引用

 

 武術の習得って体で覚えるってことですよね。体で覚えたことって忘れない。音楽とか語学とかもそうですけど、体の感覚で覚えていくし、身につけていく。はじめは楽譜とか文法とか勉強しなくちゃいけない。その時期にやめちゃうと一生懸命やっていたことであってもすぐ忘れちゃう。身についていなくて、頭の記憶だけですから短期の記憶でしかないですよね。
 もちろん、頭の記憶とか体の記憶というのは比喩的な表現ですけど。
体の記憶を繰り返して身につけた物って確かな物ですよね。体の記憶ですから、なかなか言葉にしにくい。言葉で覚えようとすると身につかない。
 地道に繰り返すことって大切ですよね。間違ったことを覚えていくとクセになってしまうから、良い先生について一生懸命に練習する。
 良い先生についたら、先日の「二勤」でも言いましたが、足と口で学ぶ。
たびたび足を運ぶ、足を使って練習する。口伝を聞き入れる、自分の口を使って問うてみる。
 体で身につけるのが武術ですから、身につけるためには頻度って大切です。
時々、何時間も何時間も練習するよりは、毎日、何十分か練習していく方が、身につけられるしうまくなる。
 これうってる最中に、スカイプで友人と連絡を取り合った。これからはこういう武術の身につけ方もある。有効に使っていきたい。
 それから、鹿児島の人達もそうだけれど、拳譜について語ったりすることも前より多くなってきました。日本も不景気になり武術人口が減ってきたのはどこもそうなんだとは思うが本当に真剣にやっていこうとする人が増えてきたのもまた事実のように思える。
苦しい時代だからこそ、単なる趣味ではなく、人生の一部として追求していこうとする人が増えてきたように思えます。

 


腎気

2013-03-31 18:59:53 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系

 

腎気

  投稿者:xinyi  投稿日:2011年 6月20日(月)00時10分40秒

返信・引用

 

 

 

 

 今日は、戴氏の練習でしたので、腎についての話で盛り上がりました。
腎は、中国の身体観の中では、腎臓と言う物よりも広い意味で使われるというのは、この掲示板でも書いたことがありますよね。
 「腎は精を蔵す」とか「二便を司る」「納気を司る」といわれるように、生命力の源と考えられていますから、五行の中でも特別な位置を占めていると思います。
 腎を養うのは、第一に睡眠、休息です。よく眠り、よく休むには、陰陽の考え方では動静ですから、昼間よく活動し体を動かすことが、間接的によく眠り、よく休むことになり腎を
養うことになります。武術の練習では、やはり戴氏の練拳法、とくに内功法って腎気を養う上でもすばらしいなと思うし、もちろん他の武術であってもそれはできるし、武術じゃなくてもできる。大切なのは、方法であって、どの武術をやればいいという物でもないと思います。戴氏はそれが体系化されているというか、練拳の中にちゃんと入れられているところがすばらしいと思います。
 さて、腎の話にもどすと、主に蔵精、主水、納気の機能がありますから、腎精が少なくなると、子供では成長の遅れや、成人では性機能の減退、物忘れや足腰のだるさ、ころびやすさ、老化がはやめられたりします。精は髄をつくりますから、腎精が足りないと骨がもろくなり骨粗鬆症や歯が悪くなるなどの症状や髄の減少は脳のはたらきを衰えさせますから物忘れや認知症等が起こることがあります。
 また、腎は必要な水分、不必要な水分を分別して不必要な物は排泄させある機能がありますから、むくみがでたり、尿がでなくなったり、頻尿、失禁などが起こったりもします。
肺から吸い込んだ清気を腎におさめることを納気といい、納気がうまくできないと、息切れや呼吸困難も起こしたりします。その他にも耳鳴りやつばが減ってのどが渇いたりもします。
 腎を変調させるものは、感情としては、恐れだと言われます。またストレスがつづくことは腎気を枯渇させていきます。同様に興奮状態があまり長く続くことも同様です。
すいみんを惜しんで栄養剤でがんばることやナンパオなど補陽剤といわれる薬で性生活をがんばるというのも腎精を枯渇させ人生を棒に振ってしまうというおやじぎゃくにもならない話になってしまいます。
 腎を養うのは、睡眠、休養を第一にあげましたが、食事などでは、黒い物、ヌメヌメした物、根っこの物がいいといわれています。黒豆、黒ごま、わかめ、ひじき、ごぼう、昆布、いか、たこ、やまいもなどはいいですので食事の時意識して食べるのが良いですね。
 また、腎は五行では水に属し、冷えは禁物ですから冬場などは衣服などで厚着をする必要はありませんが、ある程度の保温は大切です。
 足腰を鍛え、汗をかくことは、腎を養うのに効果的です。しかし汗のかきすぎは、腎に負担をかけたり、汗をかいて、冷たい水分をとるのは腎にはよくありませんから、夏でもがんがんに冷やした水分は控えなくてはいけませんね。
 薬では、補陰剤と呼ばれる物がよいようです。六味地黄丸、八味地黄丸、海馬補腎薬などが代表的なもののようです。

 

満ちあふれる汗

   投稿日:2011年 6月21日(火)00時06分59秒

返信・引用

 

 腎の話で、水についての話をしましたので、練拳に大いに関係する「汗」について話します。運動の面では、汗はかけばかくほどよいというイメージがあると思いますが、そうとは限りません。「いい汗かこう」とよく言うように、汗にも善し悪しがあります。
 汗の大きな作用は、発汗によって、体温をさげることです。腎精が満たされ、内気が高まることによって、発汗することは、恒常性を保つ上で大切です。
 しかし、腎精が満ちておらず、内気が高まっていないのに、汗をかくことは大きな体力の消耗になり、腎精や内気も枯渇してきます。
 つめたく冷やした飲み物をガブガブ飲むことは、体を内面から冷やし、運動をしてたくさん汗をかくことは、強制的に体から汗を絞り出し、さらにまた外からも体を冷やしていくことになります。先日もあげたように、冷やすことは腎の変調をきたす大きな原因です。
また、汗は水分だけでなく、多くの体に必要な物質も体外に出してしまいます。
 むやみに汗をだらだらとかくことは慎まなければなりません。
ではどういう汗が良いかというと、休養睡眠をしっかり取った上で、腎精や内気のあふれてきた汗が非常によい。体の内部が温まり、そして外部に汗が満ちあふれてくる。そんな汗というのは非常に体にも練功にもよい。
 だから、内功からはじめると、その汗は満ちあふれたあせになりやすいですよね・
皆さん、タオルは練習には必ず持ってきて、あせ拭きましょう

 


戴隆邦と武術

2013-03-31 18:54:55 | 歴史・文化・芸術・人物

武術という生き様

    投稿日:2011年 6月24日(金)22時41分49秒

返信・引用

 

 拳譜から読み取れる戴隆邦という名人であり、天才の生き様は、実に人間的であったという考えは、以前もこの掲示板で示しました。
 人間的であったというのは、名人達人でありながらも、その時代を生きるものとして、常に自分自身を磨くことを怠らなかった。自分を磨くというのは、技を磨くということはもちろんだが、生き方そのものを磨くということだを怠らなかったひとだったとおもったからだ。
 「動なれば、武芸となり、静なれば道となる」と彼はいい、武芸は単に行商時の護身術ではなく、生きることを磨いていくことそのものだったのだろうと思う。

 


絶招

2013-03-31 18:50:03 | 理論―陰陽五行、名言集

「絶」を追求する

   投稿日:2011年 6月25日(土)23時13分47秒

返信・引用

 

 

 武術をする人は、「絶招」「必殺技」「一撃必殺」「百戦百勝」といったことにロマンを感じたりもします。
 「すべての手(技法)に絶があるのであって、これが絶招(必殺技)であるという物はどこにもないのだ」と戴隆邦は、私達のロマンを見事に打ち砕いてくれる。
 絶は、どこにでもあるが、どこにもない。いくら探し回っても出てこない。しっかりとした方法で自ら磨いていく道の途中にしか、「絶」は見つけられないのだと心しなければならない。

 


足采は毒物を踏むが如し

2013-03-31 18:48:05 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系

足采は毒物を踏むが如し

   投稿日:2011年 6月25日(土)23時37分17秒

返信・引用

 

 

 老師が学生を見るとき、その人がよく練っているかどうかは、目で見なくても「発声」「足音」「呼吸」などですぐに分かる。
 震脚をばんばんやっているうちに、いつかは功夫がついてくるのだろうと思うのは」中国武術愛好者の中で生まれた大きな誤解だということを言っておかなければ、その努力が水の泡になるだけでなく、却って体をこわしてしまう大きな誘因になりかねないと感じています。中国武術の練習は、がんばりニズムから功が得られるのではなく、丁寧な丁寧な練習を経て初めて身につけられるものだと感じています。
 「足采は毒物を踏むが如し」という言葉があります。「足を踏むときは慎重でなければならない」ということです。足音は立ててはいけないことを丁寧に丁寧に追求していく中で、足は鋭敏な感覚をもち、器用に巧みになっていく。