祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

世に問いたかったこと

2014-09-30 22:02:24 | 資料ー書籍・動画、その他

オススメの本 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 1月27日(日)17時22分33秒 返信・引用


道教や老荘思想のオススメの本とのことですが、私はその辺については詳しくありませんので、オススメができません。歴史的な戴氏の成立ということを追っていくとすれば、老荘思想よりは、道教についての記述をおって見る方が良いでしょう。かなりマニアックになってきますし、迷宮に入っていくかもしれません。研究家タイプの人にはオススメです。私があまり手をつけていない分野ですので、ぜひ誰かやってください。
練拳を中心に追求して行く人は、陰陽五行の身体観を戴氏心意拳は基礎にしていますから、概論的なものは抑えておく必要があると思います。私たち素人でもわかりやすいなと思ったのは、カラー版徹底図解「東洋医学のしくみ」(新星出版社)は名称通り、図解が多くてイメージしやすく、陰陽五行説を元にした身体観が把握できます。やはり西洋的分析的な思考からでは、戴氏心意拳は外側から見た、評論家的なものになってしまい、戴氏の内容は結局理解できないと思いますので、同じ目の高さに立つことが必要だと思います。





Re: オススメの本 投稿者:k 投稿日:2013年 1月28日(月)05時46分54秒 返信・引用


> No.279[元記事へ]

うさぎさんへ

> 練拳を中心に追求して行く人は、陰陽五行の身体観を戴氏心意拳は基礎にしていますから、概論的なものは抑えておく必要があると思います。私たち素人でもわかりやすいなと思ったのは、カラー版徹底図解「東洋医学のしくみ」(新星出版社)は名称通り、図解が多くてイメージしやすく、陰陽五行説を元にした身体観が把握できます。

似たような本は読んだ記憶があるのですが、戴氏心意拳との関連で言えば「技撃精要」には遠く及びませんでした。おそらく、これ以上の本は今後も出版されないのではないでしょうか。

それも寂しい話なので、是非続編で頑張って頂きたいと思います。





世に問う 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 1月29日(火)00時38分20秒 返信・引用


kさん 御多分なほどのお褒めの言葉有難うございます。うれしいです。武術界には私より有能な方々は山ほどいますから、もっともっとよい本は出てくるだろうと思いますし、そうなってくるはずです。
さて、せっかく褒めていただきましたので、今回は、「戴氏心意六合拳 技撃精要」を出すまでに2年あまりかかりましたので、そのエピソードをいくつか話させてください。
まず取り掛かりについてどんな本にしていくかということについては、当然のことながら、私と師父との考えには大きな違いがありました。私が師父に拳を学び始めた頃にも、よく師父は、「武術を文にしても写真にしても武術は死んでしまう。連続写真でいくら動作を表しても、外に出たものは虚しいし、その中にあるもの、その中に培われたものこそが真実なのだ。内側の真実を見つめる目を作らなけばならない。順番がどうだとか、名前がどうだとかではない、生きた動きを目でしっかりと見、口で伝える。そうして始めて武術は生き生きと伝わっていく」と何度も何度も話をされてきた。私は、師父の言葉の中にある重みをしっかりと刻みつけていたし、軽々と本にしましょう。とは言えなかったのです。





Re: 世に問う 投稿者:k 投稿日:2013年 1月29日(火)19時42分53秒 返信・引用 編集済


うさぎさんへ

> 武術界には私より有能な方々は山ほどいますから、もっともっとよい本は出てくるだろうと思いますし、そうなってくるはずです。

戴氏の伝人には色々なタイプの方がいると思いますが、私の知る限り日本語の書籍の出版ということになればうさぎさんが群を抜いていると思います。もっと良い本が出てくれば私としても嬉しい誤算ですが、現実的には難しいと思います。

> よく師父は、「武術を文にしても写真にしても武術は死んでしまう。連続写真でいくら動作を表しても、外に出たものは虚しいし、その中にあるもの、その中に培われたものこそが真実なのだ。内側の真実を見つめる目を作らなけばならない。順番がどうだとか、名前がどうだとかではない、生きた動きを目でしっかりと見、口で伝える。そうして始めて武術は生き生きと伝わっていく」と何度も何度も話をされてきた。私は、師父の言葉の中にある重みをしっかりと刻みつけていたし、軽々と本にしましょう。とは言えなかったのです。

確かにその通りだと思います。ただし私個人に関して言えばこの本は大変有用でした。

うさぎさんの会で「戴氏心意拳初段」の試験を行う時、内容の一部を空欄にして正しい語句を回答欄から選んで答える といったような使い方でしたならば、確かに有害だと思いますが、皆で拳譜の内容について色々と議論できれば 本も生きてくる のではないでしょうか。

私の解釈も本での解釈とニュアンスが違う部分もあると思いますが、「頑にならずに、慢心せずに」建設的な議論が行なわれれば理解を深めるのに役立つと確信しています。


嬰児の戯れを悟る

2014-09-29 22:41:56 | 理論―陰陽五行、名言集

嬰児の戯れを悟る 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 1月26日(土)12時13分30秒 返信・引用


kさん、いつも知的で楽しい話題ありがとうございます。「嬰児の戯れを悟る」思想は老荘思想にもみられるので「身体で哲学する」を標榜?し顕在化する戴氏心意拳が引用しないはずがないというか、同じ根っこの上にあるような気がします。嬰児に始まり嬰児に終わっていく思想は、伝統的な芸事の学び方である守、破、離にも通じるでしょうし、煩悩を捨てて行く仏教的な思想とも通じるでしょう。私たちは、丹田功とか、歩法とか厳格すぎるほどのフレームに自らの身体をはめ込んで行くわけですが、そのフレームにはめ込むためには、柔らかくしなやかにならなけばならない。金貨を作るようなもので、ドロドロに溶けるからフレームにはまり、精巧なる金貨ができあがる。
私たちは、この時はどう動くとか、肘はどうで、胸はどうと言ったことを理解し、考える。そういうとって上達する上で大事ですよね。だけどそれはあくまで段階であって、そういう思索は変化して行って五日は消えていくし捨てていく。嬰児の戯れとは、武術でいえば剛柔相斉だろし、六合でもあるのでしょう。思考を経過せず、感じたままに動ける姿そのようなものを求めて行きたいですね。






Re: 嬰児の戯れを悟る 投稿者:k 投稿日:2013年 1月26日(土)19時42分12秒 返信・引用


> No.271[元記事へ]

うさぎさんへ

> 「嬰児の戯れを悟る」思想は老荘思想にもみられるので「身体で哲学する」を標榜?し顕在化する戴氏心意拳が引用しないはずがないというか、同じ根っこの上にあるような気がします。

実は私が知っている範囲では「一般に老荘思想はものの生滅について「生死は表層的変化の一つに過ぎない」と言う立場を取るとされる。不老長寿の仙人が道教において理想とされることは、老荘思想と矛盾しているように見える。」とか、「老荘すなわち道家の思想と道教とには直接的な関係はないとするのが、日本及び中国の専門家の従来の見解であった。」といった内容だったような記憶があります。
でも、最近の研究によると「一般に老荘思想はものの生滅について「生死は表層的変化の一つに過ぎない」と言う立場を取るとされる。不老長寿の仙人が道教において理想とされることは、老荘思想と矛盾しているように見える。しかし、道教の思想において両者は矛盾するものではないとされている。」とか、「老荘すなわち道家の思想と道教とには直接的な関係はないとするのが、日本及び中国の専門家の従来の見解であった。しかし、当時新興勢力であった仏教に対抗して道教が創唱宗教の形態を取る過程で、老子を教祖に祭り上げ、大蔵経に倣った道蔵を編んで道家の書物や思想を取り入れたことは事実」ということらしいですね。
勉強になりましたm(_ _)m。





Re: 嬰児の戯れを悟る 投稿者:k 投稿日:2013年 1月26日(土)20時38分41秒 返信・引用


> No.271[元記事へ]

うさぎさんへ

> 「嬰児の戯れを悟る」思想は老荘思想にもみられる

実は老荘思想は学生の時何かの本を一冊だけ読んだような記憶があるだけです。内容自体は全く覚えていないので、もしかしたら、読んだこと自体も記憶違いで、論語関係の本からの引用だったかもしれません(^_^;)。

インターネットで調べてみたのですが、老荘思想に関して赤子関係の記述では

   含徳之厚者、比于赤子
     含徳(がんとく)の厚きは、赤子(あかし)に比す
     深い徳を秘めた人物は、赤ん坊のようなものだ。
    (無心であり、柔軟であり、活力があり、調和がとれており、言葉を発しない。)

以外の内容を見つけることが出来ませんでした。

アマゾンで調べると老荘思想関連の本は何冊かヒットするのですが、この件に関してうさぎさんの推薦図書がありましたらご教授下さい。







偶像崇拝 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 1月26日(土)23時31分11秒 返信・引用


Kさん なるほどですね。道教も老子を求めていった。戴氏心意拳も岳飛が始祖だと伝えられた。元々のものは、偶像崇拝を禁じていたりするのに、学ぶ側実践する側が、偶像を作ってしまうんですよね。何か形や物、答えがあると安心する。偶像って一つであるほうがいいし、権威があるものがいいですよね。そういうものを人は求めるから、人気が出る。偶像崇拝って言うといけないものって感覚がありますけど、人は偶像を求めるものだと思うのです。偶像の中に真理はない。真理を求めていく過程の中に真理が見つかるのであって、その過程を道というのでしょう。
 「戴氏心意拳 重神不重形、重内不重外」(戴氏心意六合拳 技擊精要P42)などに代表されるように、外形ではなく、その本質を重んじる。形を学ぶことは、簡単だ。しかしその本質を形作っていくことは難しい。今日は久しぶりに練習にこられた人がいて、私たちの会で十数年練習している人で、他で指導もしている方なので、もう形は言うことないんですね。バッチリなんです。それからが行き詰まっているということで、何かヒントが見つからないかと練習にこられた。練習される様子を見ながら、重動の話、三節の話、勁の話などをしました。直すところはほとんどないのです。その少しの中から掴んでいくこと、真理は自分の内側の見えないところにあってそれを見つけていくこと、掘り起こしていくこと、そのことが武術を実践していき上達していくことなのだと、私自身の自戒も込めて思うことでした。
 私自身の内側も、まだまだ軟弱で強くせねばと思う今日このごろです。





武術の原風景 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 1月27日(日)01時06分38秒 返信・引用


武術流派の起源説に、「熊と鷹が戦う姿を見て○○拳ができた」「魚が泳ぐ姿を見て○○拳を編み出した」といった伝説があるけれども、そういうのに違和感を覚えるのは私だけでしょうか?練法と用法はどちらが先かというと、用法が先にあったはずです。
達人と流派は、達人が先にいた。流派や練法というのは、武術ができる人が、形作っていった。流派や練法というのは、教育システムです。武術ができる人が、できない人に教えるために、いかにうまく教えていくかということを考えたときに、流派や練法ができていったのであって、練法があって用法があるのではないですよね。教えるときには、練法を教えて用法をおしえますけど。
フィリップ・アリエスっていう歴史家が「子供の誕生」という本を書いていて、膨大な資料から子供は近代の産物だって言っているんですね。中世には子供はいなかった。いたのは、小さな大人だけだと。小さな大人は、大人と同じ言葉をしゃべり、同じ服装を着、同じ仕事をした。そこにあるのは、未熟か成熟かだけ。言葉の遊びのように感じられるかもしれませんが、そうじゃなくてここで大切なのは、子供時代という心性が近代の産業化によって生まれ、子供は教育される存在として子供時代が生まれてきたということだと思うのです。それは同時に教育の確立でもあるわけです。小さな大人である「子供」は、生活や働くための技術を学んでいくしかなかった。しかし近世になって子供は守られる存在、教育される存在という位置づけが、社会一般の当たり前の感覚ー心性になっていくに従って、教育システムも体系化されていくという社会史があります。勿論子供時代という心性は、豊かさや文化によっても違ってくる。しかし、アリエスが言った子供、教育の体系化という心性が生まれ一般化してくたのはそう大昔ではない。つい200年やそこらあたりの心性だということなんです。
武術の流派が出来上がっていったのも、やはり同じころです。伝説は大昔からあっても、それは、武術の伝達システムが出来上がって、流派ができていく中で、仮想されていったものだと考えられます。先ほどの偶像を作り上げていったわけです。
 大昔から、達人はいっぱいいただろうと思います。しかし、それを人に伝えようという気持ちがなければ、伝わらないし、伝えようとしても伝えるツールがなければ、伝わらない。
達人の技術といったものはそんなに簡単に伝わるものではないし、伝える技術や時間がなければ伝わらない。そう言う意味で達人が先で流派があと、使うことが先にあって、練法があとで作られていったと考えるわけです。
 そんな視点で武術の起源を考えていくと武術の歴史は変わってくるし、学び方も変わってくると思うのですが、どうでしょう?
 kさんの「荷車押し説」。とても面白いと思います。またそのことは稿をかえて、私なりの考えをお話できたらと思います。
 





Re: 偶像崇拝 投稿者:k 投稿日:2013年 1月27日(日)06時09分51秒 返信・引用


うさぎさんへ

> 道教も老子を求めていった。

実は私の「道教との出会い」は「秘伝! 少林寺拳法」でした。確か、少し離れたページに「中国秘伝 経絡秘孔」なる図も掲載されていました。オタクを意識したのか不気味な図でモデル絵の中国人も今の私ならば「董海川か!?」と叫びたくなるような容姿だったような気がします(^_^;)。

スタート時点がそんなだったので私の中で道教とは「不老不死を求める神仙思想(これは思想ではなく目的というか憧れと言った方が適切だと思いますが)を追求する行」と言ったイメージでした。ウィキペディアにも「修行のために錬丹術を用いて、不老不死の霊薬、丹を錬り、仙人となることを究極の理想とする。」と言った風に解説されています。

そうすると「戴家が「道教」と「拳法」を伝えた家柄」ということに対して違和感がありました。道教の中に戴氏心意拳も含まれるような気がしたのです。道教が積極的に色々な行法を取り入れていったことは知っていましたが、老荘思想等も取り入れたいたことはうさぎさんの投稿がきっかけとなって今回初めて知りました。

もしかすると「戴家の道教」は思想色が強い内容だったのかもしれませんね。





生薬

2014-09-28 19:05:12 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系

練習の後は、、、 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 1月20日(日)22時22分50秒 返信・引用


我が家で、戴氏心意拳の練習した後は、必ずお茶のみになるんですけど、中国茶だとか、漢方薬の生薬だとか、普段あまりでてこないようなものが出てきます。一般的においしいものだったらいいのですが、この前は黄柏だとか、ウコンだとか、まあ、ちょっとだけ、食べてみませんか?とか言われて食べざるを得なくなるわけです(^O^)
本日は、乾姜、生姜を蒸してから干して作るんです。生姜は、健胃効果や身体をすぐに温める効果が強いわけですが、乾姜は内側からじんわり温める。生姜を父親の畑からもらってきたので、また、作ろうと目論んでいます。





Re: なるほど 投稿者:k 投稿日:2013年 1月21日(月)16時26分4秒 返信・引用


うさぎさんへ

> kさん、東京の賑やかさをこっちにも分けて欲しいところです。中国武術?何?太極拳?という感じです。

確かに中国武術に関する限り一般的に言って地方と比べると盛んなのかもしれません。M先生の表演にも表演参加者以外に百人弱の見物人がいたのではないかと思います。

そんなわけで、私たちの練習会への見学希望者も一人か二人はいるかなぁ と期待していました。

ところがと言うか、当然と言うか、土日の練習会が終了した時点で、見学希望者は誰もいませんでした。おそらくこの後もいないでしょう(^_^;)。

戴氏心意拳に関しては九州とか関西の方が盛んなようです(^_^;)。






こつこつと 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 1月21日(月)20時29分27秒 返信・引用


鑑賞者の方が圧倒的に多いのは、どこも一緒でしょうね。
自分がやるっていう人はやはり少ないですね。
こちらの方でも練習の時、2、3人というのは普通ですし、昨日は1対1でした。
4~6人とか集まるとどうしたんだろう?と。
私はそれでいいんだろうなあと思います。コツコツやっていく。
いいのは、熱心な人が多いです。きらびやかさを求めては来ない。
コツコツ功を積んでいく人が多いですし、仕事とか子育てとか体調崩したりとかでしばらく来れなくなってもリベンジする人も割といたりする。そういうのってうれしいです。
隣県からもう6年も7年も週に何度か通ってくる人もいるし、ありがたい限りです。
戴氏って見栄えがいいわけではない。だけど人が生きていく上で強くなっていくこと、つながっていくこととかいろんなものが内包されていると思います。
私たち長年やっている者ができることは、欲を出さずコツコツと戴氏の良さを伝えていくことだと思います。M先生もそうですけれども、戴氏を伝承される方は、人徳、武功のある方が何人もいらっしゃる。コツコツとこの戴氏心意拳という武術を世に問うていく時代になってきているのだと思っています。






戴氏心意拳奈良練習会 投稿者:事務局 投稿日:2013年 1月23日(水)21時26分58秒 返信・引用


いよいよ奈良での活動が始まります。
戴氏心意拳練習会
1/27(日)午前10~12時
奈良市・三笠公民館(奈良市大宮町4丁目313-3 TEL:0742-33-0515)
 近鉄新大宮駅より徒歩約10分です。土足OKです。
駐車場が無いため、お車でお越しの方は最寄りのコインパーキングをご利用願います。


丹田一動、渾身動

2014-09-26 19:52:57 | 理論―陰陽五行、名言集
丹田一動、渾身動 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 1月20日(日)11時38分33秒 返信・引用
はじめは細部の要求にこだわりながら、練習していきますけどやっぱり目指すところは「丹田一動、渾身動」です。今日仲間と練習していましたが、隣の県から昨日も今日も鵲さんいらっしゃいました。流石に上達がすごいです。磨手なんかもなかなかなんですよ。みなさんにもこちらの練習風景をお伝えしたいです。

ツイッターで

2014-09-25 21:18:45 | 練習日記

ツイッターで 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 1月14日(月)22時09分47秒 返信・引用


ツイッターで「戴氏心意拳」で検索しても「何も見つかりませんでした」と出るんです。
「心意拳」で検索すると「戴氏心意拳」のツイートが出てくるのはなぜなんでしょう?知ってる人いませんか?





Re: ツイッターで 投稿者:農家 投稿日:2013年 1月15日(火)18時01分2秒 返信・引用


> No.257[元記事へ]

いつもお世話になっております。半分想像でお話します(スイマセン)。

元をたどればネット、コンピュータ自体がアルファベット用のものであるため、日本語にやさしくありません。ご他聞にもれずtwitterの検索エンジンも英語圏onlyの作り方をされていたと記憶しております。また、ブログなどに埋め込む用のtwitterのパーツをバージョンアップしらた、今まで表示されていた検索結果が返ってこなくなったりと、色々問題があったように思います。

ちなみに、http://twtrp.jp/ では「戴氏心意拳」のキーワードで結果が表示されました(ワタシのPCのみかもしれませんが、、、)。

(以下想像です)twitter検索を提供しているHP、ブログによって検索結果に違いがあるようなので、今回の問題は、twitterの検索エンジンに投げている設定がきちんとしているのか、というところでしょうか。たまたま上記のところが「戴氏心意拳」のキーワードが一致する設定仕様になっていたのかもしれませんが。もしhttp://twtrp.jp/ でもきちんと表示されない人がいたら、使用しているブラウザの問題も絡んでくると思います・・・

以上、元プログラマー(のはしくれ)の想像でした
間違っていたら、どなたか訂正お願いします!





なるほど 投稿者:事務局 投稿日:2013年 1月15日(火)19時03分35秒 返信・引用


農家さん ありがとうございます。感激です!そうなんですね。日本語に優しくない。なるほど。心意拳という割と一般的な漢字には対応していても戴氏なんて漢字になると対応していなかったりすることがあるんですね。http://twtrp.jp/では表示されました。ありがとうございます。





Re: 表演会 投稿者:k 投稿日:2013年 1月15日(火)19時52分42秒 返信・引用


> No.255[元記事へ]

濠さんへ

> M先生の表演など、東京は賑やかですね。

そうですね。普段はあまり意識しないのですが、確かに恵まれているのかもしれません。
「武当拳法協会」は表演は、主催者の方は勿論ですが、その他の方のレベルも門外漢の私から観ても高かったような気がします。





Re: なるほど 投稿者:農家 投稿日:2013年 1月15日(火)20時22分35秒 返信・引用


> No.259[元記事へ]

判っている範囲で厳密な話をしますと、

「戴氏心意拳」だとヒット0件ですが、間にスペースを入れて「戴氏 心意拳」とするとヒットするんですよね。「戴氏」でも同様にヒットします。「戴氏心」とすると0件になります。「心」がまずいのかと思い「戴氏 意拳」だと、なぜか1件ヒットです。

「心意」で検索すると中国語圏のツイッターが表示されるので、そのあたりの文字コードあたりが怪しいのかなと感じます。

(横道にそれそうなので、この辺で失礼いたします)







中国では 投稿者:事務局 投稿日:2013年 1月15日(火)22時12分30秒 返信・引用


中国では、祁県映海戴氏心意拳倶楽部のホームページが見れないとのことで
組織の連絡先とかをブログの方に載せました。
http://blog.goo.ne.jp/daishixinyi001
もう一つ「戴氏心意六合拳 技擊精要」は中国でも話題になってきているとのこと。
「万維網」でも記事が出ているとのことです。が私は見つけられません。見つけた人はリンクを貼ってください。よろしくお願いします。





なるほど 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 1月19日(土)18時04分31秒 返信・引用


農家さん、検索、一つとっても奥深いですね。パソコンは、本当私は素人なので勉強になります。
kさん、東京の賑やかさをこっちにも分けて欲しいところです。中国武術?何?太極拳?という感じです。
濠さん、関西方面では大阪、京都、奈良のスタッフが中心になって、1月に何度も練習に参加できる形ができているようで、いいなあと思います。一人一人が盛り上げて行こうっていう意気込みって大事だと思います。頑張って行きましょう!